鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

B/N 2020.12.21 神に試されている人類

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今日は、心の問題について書いてみたいと思います。


ですが本題に移る前に、私がイメージしている次世代のコミュニティ像、社会像について少し書いてみたいと思います。


私は前回の新人類世紀にて、新しい調和の社会にはその基盤として「人が土地の上で共に心豊かに与え合い暮らす」イメージのビジョンが不可欠だと考えています、と書きました。
どうしてこのイメージが必要かの理由は飛ばして結論だけ述べていますが(理由についてはまたおいおいブログで書くつもりです)、今現在もその考えはかわっていません、まだ抽象的なイメージではありますが。


では、ここから今回の本題である心の問題に入ります。
私は少し前までしばらくの間時の話題について書いていました。
その中で、「風」の時代においては、心の奥底にある魂につながることや直感、が大切であることを書きました。
このことを念頭において、以下書いてみたいと思います。


これまで何度もそれらしいことを書いていますが、これまでのお金、財産、肩書、世間の常識にとらわれる時代から、今後時代のエートス(人々の心の雰囲気とでも言いましょうか)は「風」の時代への移り変わりの影響の中で、上で書いたような「モノ」にとらわれず、自らの心に素直に生きていきたい、あるいはそういった生き方がむしろ人として自然なのである、といった価値観、哲学が人々の根底に根付いた形になってゆくであろうと考えています。


しかし現実問題としては、現在にシステムが一瞬にして魔法のよう別のモノに変わるわけでなし、また人々も現実の生活の中で抽象的なお題目を唱えて霞を食べて暮らすわけにもいかないわけで、ここの部分と今後の形とどのように折り合いをつけてゆけば良いのかが課題になるわけです。


しかも、もちろん、今のままで良いと積極的に思っている人も数多いる、また変わるのが怖いと感じて目をふさいでいる人も数多いる、更にそもそもこんなことに関心のない人も多くいる中で、です。
恐らく、これも以前書いていますが、時代の雰囲気が変わる、人々の心の置き所が変化する、その結果社会は変わってゆく、その中で自分も脱皮し何か行動を起こさなければ、と感じ考えている先駆者は10人に1人くらいでしょう。


では、この後どうなるか。
私の見立てでは、同時性の原理もあり、人々の心の置き所に根本的な変動が起こる運命にあるということは、当然それに呼応するように否応ない形で社会的変動が起こるということであると考えています。
いや、人の心の置き所と社会的変動がパラレルな存在である、ということかもしれません。
その結果、社会的変動がまた人の心の置き所の変動を促すことにもなるでしょうし、更に言えば人の心を変えるために社会の変動が起こるとも言えるかもしれません。
一種のショック療法、とでも言いましょうか。


いま目の前にある現象としても、まずコロナがありますね、それから今進行中のアメリカの混乱等々。
この先(10年くらいの中で)は、中国の混乱(経済破綻→政治混乱→国家分裂の可能性すらあると考えています)、世界的に今まで見えてなかった不公平なシステムの露見、経済的には膨れすぎた債務による金融混乱、貨幣破綻、その結果としてと世界的な経済混乱、国家破綻等、現実的に見ても大いにあり得ると考えています。


そうです、もし私の見立てが正しいのならば、そもそもお金や財産が当てにならない時代になってしまうのです。
時代が変わるという流れがあるならば、それに逆らうことはできないのです。
このことは、過去の歴史を見ればいやになるほど同じ事例が出てきます。
今の自分にとっていくら居心地がよくてその存続を心から願ったとしても、もしその人が時代が移り変わる転換点にきてしまったならば、(生き残るには)変わってゆく社会情勢の中で否応なく自らも変わってゆかざるを得ないのです。


星の巡りは一足先にその時代の移り変わりの到来を抽象的に示唆し、現実の社会的な情勢も従来の諸々のシステムの限界が見えてきたという形で社会システムの組み換えの必要性を強く示唆し、また一部(おそらく10人に1人くらい)の人は既に自らの心の中でその変動の強く感じてきているというのが、今の状況だと考えられます。


では、その自らの心の中で変動を確信し変わる必要性を感じた人は何をしたらいいのでしょうか。


行うことは2つ。
① モノへの執着を減じ直観力も動員して、その結果良く聞こえるようになる自らの心の声を羅針盤として行動してゆくこと(もちろん現実の生活感は失わずに)。
そうすれば、同時性の原理もあり(古来このことを神様のお導きと呼んでいたようです)、自らの前の道が開けてゆくでしょう。
その場合、一見結果が自分にとって悪い事のように見えてもへこたれないこと。なぜならば、目の前に起こることが本当に良いコトなのか悪いコトなのかは、ずっと後になってみないとわからないからです。
人生の勉強ということもあります、雨降って時固まるということもありますので。
自分を信じて頑張りましょう(私自身にも言い聞かせています)。


② 他の人に勇気と癒しを与えること
自らの心の中で変動を確信し変わる必要性を感じた人は、社会的変動に対する積極的な心構えができている人も多いでしょうから、いざ社会的変動が起きた時のショックが比較的少ないと思います。
しかし、そうでない大多数の人はこれまで信じてきたり拠り所としてきたものが幻であったかのよう(実際お金や財産の価値は幻に近いものも多いと思いますが)に消え去り、精神的なショックは計り知れないものがあるかもしれません(そもそも上で申しましたように、社会的な変動は人の心を変える自然、あるいは神の見えざる手によるショック療法のようなものですので)。


そういった人々に対して、人間としての新しい価値観を提示し、傷つき意気消沈した人々の心を癒し勇気づけるのも、今既に一足先に自発的に変わりつつある人の役割と言えるでしょう。
そうすることで、旧来の価値観から新しい価値観へと目覚め、結果新しい社会システムを構築してゆく仲間を増やしてゆくことにもなるわけです。
その結果格差社会の中で荒廃した現代のコミュニティの再建は大いに捗ることになるでしょう。


私も新しい価値観を土台とした「人が土地の上で共に心豊かに与え合い暮らす」コミュニティのより具体的な像の探求とその提示、および、そのコミュニティの具体的な構築のお手伝いをすることで、少しはお役に立てるのではないかと思い、このブログも含めた活動をしているところです。


繰り返しになりますが、私は上で述べてきたことを背景として、来る社会システムの再構築には、風の時代に移り変わる象徴的な意味も踏まえた上で、人々の心の置き所や価値観の方向性を社会の土台として大まかに把握し、それに乗る形でコミュニティや社会システムを再構築してゆく必要があると考えています。


従いまして、これから目指してゆくコミュニティ像や社会像はどのようなものであるかを具体的に考える前に、まず心の変容の問題を考えてみたいと思い、このブログを投稿しました。


そして、具体的行動としては、上に書いた2つの行うことを、私なりに仲間と連携しながら考えてゆきたいと思っているところです。