鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

B/N 2021.01.25 新人類世紀(2021/1) 家を借りる人の弱体化と解決案

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今回は不動産の賃貸事業について考えてみたいと思います。


ただし、ここで将来の賃料相場は、とか、賃貸不動産の市場は、とかという話をするわけではありません(全く触れないわけではありませんが、どちらも中長期では見通しが極めて暗いと思いますので深堀はしません)。


本日のテーマは、賃借人の弱体化という問題です。
具体的には以下の2点です
① 賃料の滞納と保証人の問題
② 賃貸人の高齢化、孤独化


そしてこの①と②の問題は微妙に絡み合っています。


20年くらい前までの老人は、まだ日本の年齢構成が若かったことおよび昭和時代の高度成長の蓄えを背景とし、経済的に比較的しっかりとした子供家族とまだ余裕のあった年金を基盤として、家庭で介護するなりまた福祉施設に入るなりしても、現在のような独居老人が浮遊してしまうような問題は顕在化してはいませんでした(もちろん個別にはいろいろと問題はあったかと思いますが)。
従いまして、不動産の賃貸事業と老人福祉事業は明確な住みわけが可能でしたし、また賃料の不払いについても家族や親族を中心とした保証人の制度が曲がりなりにも機能している状況であったと言えます(もちろん個別にはいろいろと問題はあったかと思いますが)。


ところが昨今団塊の世代が老人化(特に戦後の経済復興、経済成長の中、地方から大量に都心に出てきた方々が老人化)してきたことを背景として、子供と離れて暮らしていたりそもそも子供がいない独居老人が急激に増えてきました。
また、後に続く40、50、60代の独身者や単身者も大量に発生してきており、この流れはもはや一過性の現象ではなく構造的なものであるという認識をせざる負えない状況にあります。
その結果、賃貸事業において以下のような問題が発生していると考えられます。
・ 賃借人の孤独化、高齢化
・ 保証人制度の形骸化に伴う保証会社の伸長
・ 日本経済の停滞、賃借人の高齢化、年金制度の脆弱化を背景として賃借人
  の経済的な不安定化とこれに伴う賃料不払いリスクの増大
・ 賃借人の高齢化による健康悪化リスクと孤独死発生の増大
等々です。
この状況をわかりやすく言えば、賃借人の総合的な意味での経済的社会的な弱体化が進行しているとともに、賃貸事業に介護や福祉で受け持つべき問題が入り込んできているということです。


現状、賃貸する側がこの問題を回避する手立てとして、賃料の保証会社を利用したり、外国人を入れたりして対処しようとしているようでありますが、
・ 外国人の賃借人は潜在的に日本人高齢者と同じ経済的社会的な不安定化、
  弱体化に繋がる可能性があり、そもそも目先の経済的な応急処置を目的
  とし外国から労働者を大量に受け入れること自体慎重に考えるべきである
・ 保証会社を入れるということは、それだけ保証料というプラスのコストが
  発生することであり、賃借人が経済的に弱体している状況では相矛盾する
  対処法であり、早晩その矛盾が浮かび上がると予想される
・ そもそも独居老人問題に対しては組織的な対処ができていない
という問題を孕んでいます。


また、より根源的な問題としては(恐らくこのことはほとんど見逃されていると思いますが)、今の大家さんは親やその前の代から引き継いだ2代目、3代目が多くなっており、こういう構造的な変化に対して精神的(タフ的)・経験的・動物的感的に脆弱化していることが挙げられるかと思います。
つまり、賃貸業界として機動的に対応出来ずに問題が深刻化してしまう危険性を孕んでいるということです。


ここ10年ほど金融緩和政策を背景として、遊休地活用の一環として賃貸の共同住宅が大量に造られてきました。
これらの住宅には空家も多いと聞いています。
ここにプラスして上で述べたような構造的問題があるとすれば、早晩賃貸事業はその役割を変えざる負えなくなるのではないかと思います。


ではどのように変わるべきなのでしょうか。


ここまで問題を指摘しながら無責任なようですが、私には賃貸事業が今のままで生き続けるという姿が思い浮かびません(もちろん生き残るところも多くあるかと思いますが、淘汰されるところはそれ以上に多いでしょう)。
現在賃貸事業をしている方々は早急に事業を続けるか否かの判断をする必要かあろうかと思います。


では、その混乱の中で次なる進むべき方向はどこなのでしょうか。


それは、賃貸事業と福祉事業の融合です。
その垣根を超えたサービスをすることです。
しかも安価で(これまでも高額でしたらこのようなサービスは数多ありましたが、その事業も老人の経済的弱体化と年金制度の脆弱化の波の中で、少し時間がかかるかと思いますが、次第に時代感覚の錯誤したサービスという捉われ方になっていくと思われます)。


何故安価が必要かと申しますと、サービスを受ける老人が孤独化、経済的弱体化するからです。
一方、少子高齢化の波の中で、助成をする立場の国や自治体の財政は苦しくなり、また介護をする要員の確保も難しくなります(ここにも外国人という考えが主流のようですが、現実問題としては少子高齢化の進行に間に合わないと思いますし、そもそも早急にかつ大量に海外の方を長期的な視点なしに受け入れること自体、私は上に述べた理由で好ましくないと思っています)。
従って安価のサービスが必要になってきます、しかも公の補助もあまり当てにできずに、です。


ではこれを実現するにはどうすればいいでしょうか。
答えは、老若男女の連携による助け合い介護であります。
そして、居住空間の賃貸という概念も、この助け合いという空間の中で融通し合う、という姿に変えていくことです。
幸い、空家という住宅インフラが数多く存在しつつあります。
これを活用しない手はありません。


今日現在私が言えるのは、進路の方向としてのここまでです。


そして、この先この進路を更に進め、比較的ローカルであり中の構成員が(経済的のみならず生活上も)おのおの出来ることで助け合うという大まかな方向性を保持する新しい概念のコミュニティを模索し、創造していく必要があると考えています。


そのためには新しい生き方の哲学も必要ですし、当然法律も変えなければなりません。
また、今後の全般的な社会情勢も大きく影響しますし、どのようなテクノロジーが出てくるかも問題になります。


しかし、時間がかかるにしても、この方向に進んでいく必要があると考えています。
そして、この歩みが、今後ニュージャパンシステムとして世界の人々の在り方に少なからず影響を与えることになるとまで考えているのですが、皆様はどう思われるでしょうか。