風の時代=新人類の時代(その2)
昨日のブログより、私が新人類という言葉を使用した理由は解った方も多いかもしれません。
そうです、「新人類」とはいわゆる風の時代に生命を与えられ一時生き続けたという言葉だったからです。
そして昨日も書きましたが、この「新人類」という言葉の定義も、これからの時代に生きる上であっていました。
ダメ押しでもう一つ理由もどきを書けば、それが一旦死語となっていたからです。
「死」と「再生」ということです・
従いまして、これまではこれからは「風の時代」を連呼していましたが、今後は「新人類の時代」という書き方をしていくことにいたします。
またこれからの21世紀は新人類の21世紀、つまり新人類世紀ということになります。
従いまして、これから迎える新しい時代を指して新人類世紀という言葉を使用していきたいと思っております。
以下はちょっと脱線いたします。
気になりますのは1981年~2000年は本当に風の要素はあったのでしょうか。
私はその時代を働き盛りの年代で生きた者として、今振り返るとその要素はあったと感じています。
この期間は、風の象徴であるインターネットの黎明期~普及期に当たっていました。
本格的な情報化社会への一歩を踏み出した期間です。
また日本でいえばバブルの発生から崩壊へと、戦後の復興成長社会が強制的に転換させられた期間でもありました。
社会、文化面でも然り、バブル崩壊前後を通じて現在よりも開放的で自由であったと記憶しています。
また善悪は別としてオカルトやUFO、あの世などの情報も満載で、やがてオウム事件やノストラダムス騒動を経て、この分野も2000年以降実質上社会的にタブー化して脇に追いやられることになります。因みに私は上で書きましたようにこの時代にドップリつかっていましたので多少のオカルト方面の知識があり、これが今になって現状の分析をする上での付加知識として役に立っています。
こうしたところでも風の時代の繰り返しを感じます。
続く