心を清めるということ(その2)
皆の心を清めるということ。
これほど難しいことはないかもしれません。
昔も今も、人々は厳しい現実社会の中で様々な思いをもって生きてきました。
目の前の生活や、自らの仕事、財産、社会的地位を守るため、あるいは他者に対する恨み、妬み、怒りに翻弄され、あるいはただただお金のため、仕事が忙しすぎて等々、自らの心を清めるなどということは思いもよらない人は枚強にいとまがないかもしれません。
しかし、私は確信しています。
資本主義と言う仕組みが極まったところでコロナが出現して人々に突き付けこと、それは心を清めることであるのです。
そして、今、人は心を清めることに価値を見出せるか、見いだせないか、で2極に分化し始めています。
新人類はどちらですか?
それは、当然、心を清めることに価値を見出している人々です。
以前から今が大きな転換点であると書いてきましたが、それはこういうことなのです。
つまり、これからはお題目ではなく本当に心を清める、ということが必要な時代になる、ということです。
このことは、もちろん難しいことです(私など今もまだまだ落第生です)。
しかし、いわゆる新人類として本当の心が胎動し始めた人は、この課題に正面から取り組む、それがアフターコロナの社会を創っていく道に通じているのです。
そしてシンクロニシティの導きにより(これを神のご加護と言う人もいます)、心を清まることに正面から取り組めば、道は開けてゆくでしょう。
ただし取り組まなければその反対も起こります。
その結果、人が心を清めるということに対して2極に分化するということで、人や組織の浮き沈みがドラスティックに巻き起こることになります。
社会には大きな混乱に起こるでしょう。
その中で心を清めることに日々壁に当たりながらも精進する人々は、その大らかな心を持ちながらお互い助け合い励まし合い、生き抜いていくことが可能になるのです。
これからは、新人類が情報を持ち寄りお互い励まし合う「場」が必要になろうかと思います。
私もそのような「場」の形成に一役買うことが出来ればと思っている今日この頃です。
次のブログに続く