鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

情報取集は二刀流のすすめ(前編)

最近英語に凝っています。

 

と言ってもの、流ちょうに話すことが出来るようになるとか、TOEICで高得点を取れるようになる、とか海外で暮らしたい、とかという高尚な目的ではなく、寄る年波に勝てず最近物忘れが酷くなってきた脳の老化対策が目的です。

 

脳の老化を日々実感する中にあって何か脳に刺激を与えることをやってみようかと思い立ち、数独とか囲碁とかも候補に挙がったのですが、若いころ受験で親しんだ英語を今度は趣味的に始めてみようかという思いに至ったという次第であります。

 

では具体的に何から始めようかということで、ネットで調べたりアマゾンの書評を読んだり、YouTubeを見てみたりということが始まりました。

 

で、前置きが長くなりましたが、今日の本題はここからです。

しかも英語が全然関係ない話で!

 

英語学習のYouTubeを漁っていますと、そのユーチューバーが予備校の講師であったりすることにしばしば遭遇します。

そんなこともあり、年甲斐もなく懐かしさもあり、大学受験に関するYouTubeも楽しく拝見させていただくようになりました。

 

特に東大等の超難関大学に合格したYouTubeの数学の番組などは、個人的にお気に入りです。

 

いやそれにしても、東大などに合格した人たちはやはり良く勉強していたようです(当たり前ですが)。

そして当然ですが、そういう大学受験で凄い人たちは、いわゆる地頭が良いということも手に取るように伝わってきます。

長時間の勉強が出来なかった(サボっていた?)若かりし頃の私に爪の垢でも飲ませたいところです。

 

ですが、すみません、私ひねくれ者でして、そんな世に言う天才や秀才の素晴らしい姿を見て、ふと思ってしまったことがあったのです。

いや、正確に言うと、思い当ってしまったというべきでしょうか。

 

それは。

 

確かに天下泰平であれば、彼らの緻密で正確無比な頭脳は社会に出ても大いに役立つでしょう。

しかし、私が常々このブログでも書いてきたように、現在が私の持論通りの歴史的大転換期の荒波の中に入っているとしたら、彼らは果たして世の中の異様な展開の中で今まで通りに自らの能力を大いに発揮することができるだろうか、ということです。

 

世の中が激動するということは、前例がない状況の中である種確信のない(正確に言えば、現状の高度の分析に加え、過去の歴史や宗教、あるいは心理学、更にはいわゆる隠された知恵などの考察や知識を動員すれば、おぼろげな羅針盤がほのかに浮かび上がるかもしれませんが)が自分を含めた周囲に影響が大である重大な決断をしなければならないという、非常に大きな精神的プレッシャーがかかる状況の中で、果たして彼らが正常に振る舞うことが出来るだろうかという深い疑念が出てくるのです。

 

しかも、前例踏襲がかなわない中で行われる彼らの決断の内容が、果たして正しい方向のモノであるだろうかという問題も出てきます。

 

そしてその答えは、直近のワクチンやウクライナの問題の中で既に浮き彫りになってきていると、私は感じています。

 

昨今は、東大や京大などのいわゆる超難関大学出身ということを売りにしたコメンテーターやユーチューバーに良く出てきています。

この人たちのコメントを聞いているとよくわかります。

彼らのコメントはどれも似通っているのです。

世の中の一般的な常識に沿った良い子のコメントなのです。

 

このような状況を見て、私は(もちろんすべての人とは言いませんが)大方の人はコメントをいわゆる置きにいっているように強く感じています。

周りを見ながら、その中の絶秒なバランスの場所に(そこは勉強が出来ますから、このようなことは長けているのです)、コメントを置きに行っているのです。

 

彼らも勉強が出来て巧妙ですから一見自信をもって持論を述べているように振る舞ってはいますが、そこで出てくる大方の持論がステレオタイプなものでかつ綺麗ごとで脚色されているものですので、置きに行っているのが手に取るように伝わってくるというわけです。

 

更に、そうは言っても世間常識に沿ったある方向性の意見を置きに行っているわけですので(ワクチンで言えば接種促進、ウクライナで言えばウクライナ万歳ロシア悪いの一貫した勧善懲悪姿勢)、もし今後これらの方向性を裏返す情報が出てきた時には(歴史を見れば、こうなることは別に稀なことではないようですが)、これらのコメンテーターやユーチューバーが実は無能な節穴であったということが露見してしまうリスクがあることにも気が付いていないようなのです。

いや正確に言えば、今後仮に上で書いたような状況になったとしても、頭の悪い一般視聴者はその時にはそんなことはすっかり忘れていると高を括っているのかもしれませんが。

 

いやいや敏感な視聴者は忘れませんよ。

今や情報化社会でかつ時代も変わりつつあるのですから、これまでのようにはいきません!

(私の狭い経験の上で見たところ、例えば東大出身で鋭い独自の頭で考えた分析や意見を述べているのは藤原直哉氏くらいでしょうか)。

 

本題に戻ります。

上で書いたように自らの身を落としかねないコメントを、そのリスクに気がつかずあるいはそのリスクを過小評価して悠然と置きに行っているということは、要は自分の意見に確信がなくかつ将来自らが置かれるかもしれない状況について想像力もなく、現状を無難に乗り切ることに汲汲としているということを示しているとも見えなくはありません。

 

その理由は、前例がない事象の中ではこれまでの経験則が役に立たないからでしょう。

つまり受験勉強の延長線上の、目に目える物質的な世界からの情報だけでは、前が見えないということなのです。

 

それに対して、上で書いた藤原氏はご自身でも再三再四言われていますが、目に見えない世界に関する知恵や情報を大切にし、またその分野に対する見識や経験も非常に深いものがあります。

そうなるといわゆる頭脳明晰な見識とも相まって、鬼に金棒です。

現在のような大転換期でも前の見通しが効いて、傾聴に値するはっきりした自分の意見や分析を述べることが出来るというわけです。

 

これが、私が考える現在の学問や学歴社会の限界ということになります。

 

続く