旧約聖書から〜首を切られてのたうち回る蛇
イブに禁断の果実をかじることをそそのかすわけですが、その結果アダムとイブは神の怒りの触れエデンの園を追われることとなります。
詳しい説明は省きますが、この話から「禁断の果実」とは、不法・不道徳・有害な快楽を表す言葉として使われるようになります。
そしてこのエデンの園の蛇はこれらの有害な事柄をそそのかす悪魔と言われているようです(ちなみに、日本では蛇は神様として捉えられていることが多いようです)。
悪魔には人の欲望が深く関わると考えられていたようです。
ちょっと、とてもつまらない超超短編の物語を書いてみます。
‐ とてもつまらない物語 ‐
「五感を働かせる」のブログで書きましたが、これまではこの欲望に忠実な人が生きやすかった社会でありました。
ですが、これからはこの欲望が仇になるかもしれません。
なぜなら、欲望のない無垢な人の方が、正確な情報が得やすくなると考えられるからです。
まさに、人々が神の加護を受けることのできるエデンの園に戻ってきたのです。
それではイブをそそのかした蛇はどうなったのでしょうか。
蛇は相変わらず人々に欲という誘惑の罠をかけようとしています。
そして今でも、進歩なく欲にかられた人々は、目の前が曇ったまま蛇と一緒に
踊っています。
しかし、蛇に誘惑されない人々がいました。
無垢な人々です。
蛇は無垢の人たちにどう誘惑しようとしても、できないのです。
今時代の地下水脈が大きく変わり始め、無垢な人々に追い風が吹き始めました。
長年人々を翻弄してきた悪知恵のきく蛇ですが、どういった策略(らっぱによる攪乱活動)を巡らしても、その神通力が通用しなくなって来ていることに既に気がついています。
もはや蛇の頭は使えない、頭が無い状態となってしまっていることに。
蛇は首を切られてしまったのであります。
それでも蛇は人を騙し続けないと生きていけません。
何とかしようと、首を切られてしまった蛇はのたうち回っています。
それにつられて欲にかられた人々も、踊りながら走り始めました。
どこまで行っても到達しない、幻の終着点に向かって。
(完)
これはあくまで物語ですが、実は今、現実の社会でも首を切られてのたうち回っている蛇がいるようなのです。
続く