第六感を授かる人の条件〜五感を働かせる(その7)
最初の方の話題に戻りますが、私達は5感だけに頼ることが出来なくなっています。
しかし、その4その5あたりで書きましたが、この世は因果関係だけで動いているようではないようです。
共時性という軸もあるようなのです。
そしてこの共時性は、人々の直感に通じるモノであります。
そうです、私達は本来私たちが自らの5感を通じて直接入手する情報にプラスして、お互いの統合的な関係(集合的無意識からの情報などという方もいますが)からもたらされる情報も入手しているようなのです。
これが第6感と呼ばれているモノかと思います
そして今回情報の技術革新、情報革命により5感を惑わすらっぱの存在が露になり、自衛のために私達は否応なく第6感を使うことを迫られてきているのだと思います。
社会的な情報革命が人間の情報革命を呼び起こしている、ということです。
第6感は無私、無心の時に授かりやすいと言います。
そうでないと自らの感情による判断を何らかの啓示として勘違いしてしまい、かえって混乱し時により破滅的な選択に至ってしまうこともあるということです。
18世紀の後半から始まった機械化という産業革命は、それまでの経済社会構造を変え、それに伴い社会に適合する人間の型もそれより以前とは変わったかのように見受けられます。
民主国家の優等生的なお題目とは裏腹に、どちらかというと俗物的で他者を顧みず欲の深い人間が蔓延りやすい社会構造になったのではないかと思われます。
それではこれからはどうなるか。
俗物的で欲の深い人間は、らっぱの放つ似非情報に5感が翻弄され、経済的精神的に疲弊してしまう可能性があります。
それに対して、これまで何かと生きづらかった他者に共感深く慎み深い人は、豊かな第6感からの情報を享受し、まるで神に祝福されたかのように「心」豊かに暮らせるようになってゆく何らかの道が見えてくることも考えられます。
いや、恐らくそうなることが、人の情報革命の先の行くべき道かと思います。
しかし、欲深い人達は今の社会が存続するように、のたうち回るでしょう。
また、当然、社会も経済も政治もこの先、生みの苦しみのごとく大きな変動に直面することになるでしょう。
まずはこういったことをも頭に入れつつ、新しい社会の在り方のビジョンを模索してゆく必要があるかと思います。
私は、この新しい社会のビジョンには産業革命以前の人の在り方の中に参考になるものが数多くあるのではないかと考えています。
そういった意味において、独自の文化や習慣が残り、また和洋折衷も上手くこなしているこの日本には、まだまだ出来ることが数多くあるかと思います。
また日本人の持つ繊細さから、日常のちょっとした生活の知恵の中にも、これからの社会のビジョンに役立つものは数多くあるのではないかと、とも想像しています。
5感の話題はこの辺りまでとしますが、今後このブログの中で上で述べたような観点も踏まえつつ、私なりのこれからの社会のビジョンというものを考察していくことが出来たら良いのではないかと考えています。
完