中国の不動産が大変?かつて日本が歩んだ道(その1)
先日中国のHNAグループという不動産金融コングロマリットが破産し、債権者から日本円にして約20兆円の支払いを求められているという記事が出ていました。
中国ではここにきて金融および不動産の業界で大型の企業破綻が起こっているようです。
アメリカの経済制裁により中国国内のドル調達に支障が出ており、その結果として企業の血液たる資金繰りに問題が発生していることが背景にあると言われているようです。
しかし良く考えて見れば、2~3年前ぐらいから作りすぎてしまい需要不足になったのか無人に近い高層マンションなどの写真や情報がしばしばネット等に出ていました。
一応不動産の専門家の端くれである私から見ると、どう考えても不動産バブル崩壊の絵面でしかありませんでした。
ですがその後も中国当局の資金繰り援助つまり資金の輸血が功を奏したのか、はたまた情報を統制していたのか、不動産関連企業の大規模倒産などの情報はあまり表には出てきませんでした。
それが、ここにきてついに隠し切れなくなってきたようです。
実はかつて1990年から日本の不動産バブルが崩壊し始めた時、やはり同じような光景を見ていたような気がします。
当初は不良債権額を当時の大蔵省も日経新聞などのマスコミも過少に見積もって一般市民に発表していました。
したがって世間の感覚もそれ程危機感はなかったと記憶しています。
しかし私は当時某金融機関で不動産関係の業務をしておりこの不良債権の見積もりの最前線にいましたので、発表されている不良債権の見積もり金額が当時の私の肌感覚による不良債権規模の10分の1以下の金額であると感じていました。
戦後民主主義になったと言われる今でも白昼堂々と大本営発表がされるのだと驚くと同時に、何か国の運営の意外にお粗末な楽屋裏のようなものを見てしまったという落胆があったことを記憶しています。
それから不動産業界の壊滅的な落ち込みを経て、ついに大蔵省や日銀もマーケットの攻撃から金融機関を支えきれずなり、1997年の山一ショックに端を発した金融危機へと展開していくのでありました。
そして最終的に膨れ上がった不良債権額は、私がバブル崩壊当初に肌感覚として持っていた規模に近いものでした。
日本はこの後氷河期世代などを生みながら、このバブル崩壊の傷から今でも癒えていないと言えましょう。
初期の段階で現実を見据え荒療治をしていればより傷は浅くて済み、今頃日本の復活への歩みも始まっていたかもしれません。
当時首相をしていた宮澤喜一氏も、もっと早く荒療治をすればよかった、と後に語っていた記憶があります。
しかし当時はその金融機関に与える影響の大きさへの懸念と、金融セクターに輸血を続ければやがて不動産市場は復活しソフトランディングが出来るのではという甘い見通しから、荒療治は回避し抜本的な対応を先延ばしするという判断に至ったようです。
でも現実は結果としてこの判断が間違っていたということでした。
続く