鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

中国の不動産が大変?かつて日本が歩んだ道(その2)

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不動産は怖い商品です。

不動産はその単価が高くまたその高い単価が広い面積に及びますので総額も非常に大きくなります。

したがって投資した後その値が上がると莫大な利益が出ます。

しかも金融のような目に見えないものではなく現実に人が住んだり利用したり眼前に広がるものですので実際の開発などをイメージしますとロマンも生じるものですし、また比較的この業界の素人でも普段慣れ親しんでいる部分もありますので一見扱い安そうに見えるという側面があります。

したがって、一度不動産の値が上がりバブリ始めると、人々は実際の事業経験の不足も相まって異様に熱狂し始めてしまうのです。

そして不動産を単なる金儲けのモノとして扱いながら、踊り始めます。

不動産の値が上がり始めますので、だんだんキャピタルゲイン狙いの取引が主流になり事業採算無視の取引が横行するようになります。

ババ抜きゲームが始まります。

しかしやがてそれも終わりが来ます。

不動産の値が上がりすぎると、事業採算が完全に合わなくなるからです。

当然のことです。

 

でもバブルの崩壊が起こっても当初は直近のイメージがありますので、また不動産の値が上がると期待して身を切る抜本的な対策を先延ばしにして対症療法に明け暮れます。

時には見た目対症療法が上手くいったように見える局面もあります。

しかし結局は破綻していきます。

しかも対症療法の規模が大きいほどまたその期間が長いほど、破綻したときのショックも大きくなります。

 

では、そのショックはいかほどか?

日本の例でわかるように、不動産はその資産規模が大きいので国をかたむけるほどのショックになる可能性があります。

1920年代に起こった大恐慌も、アメリカの不動産価格が崩壊した時が致命傷になったとの分析もあります。

私が持っている不動産鑑定士という資格も、この時の教訓が背景にあると聞いたことがあります。

 

今の中国に戻りましょう。

中国経済は今後どうなのでしょうか。

私の見通しは、上に書いた内容からお分かりかと思います。

中国がいくら大きな国だと言っても、一旦不動産のバブルに踊ってしまうと上に書いた不動産の特性から発生する不良債権の額が膨大な規模になり逃げ道はないでしょう。

中国不動産はバブルでありそれは既に実質崩壊していると見て間違いなく、今はその問題が表面化してくるタイミングである可能性が出ているということです・

もし不動産バブル崩壊が本格的に表面化すれば、中国には深刻な経済危機が訪れるでしょう(今既にその初期状態かもしれませんが)。

悪くすると経済混乱を背景とした食糧不足や軍事的な紛争、あるいは政治体制の変化が起こるかもしれません。

日本企業は多く中国に進出しています。

また1年前のマスク騒動を振り返れば、世界の下請け工場たる中国の経済混乱は日本におけるプラスチック容器などのモノ不足を起こすかもしれません。

あるいは国際的な食糧危機が起こるかもしれません。

日本にいる私達も大きな悪影響を受けることになると思います。

中国不動産の危機は他人ごとではないのです。

 

一度不動産のバブルが起これば人々の奢りに満ちた泡踊りが起こり、そして必ずバブルは弾け暗闇が訪れます。しかも長く。

 

不動産とは本来人が住み、人の食べ物を育み水も育み自然も育む、というものです。

もちろんそれを上手く利用することにより人に利も育んでくれます。

不動産、その中でも特に土地は単なる値札が付いた商品ではなく、人が共に生きる場なのです。

 

古来日本では、土地は神様でした。

今でも鎮守様や地鎮祭等のかたちでその姿は色濃く残っています。

これは日本のみならず、地と人の関係ということで世界中不変のことです。

迷信めいているとお叱りを受けるかもしれませんが、土地を単なる金儲けの投機の道具に使うようなことがあれば、人はその報いを受けることになるのかもしれないのです。

今後訪れるであろう経済(ことによるともっと広範囲にわたる)危機を乗り越え、その先にある持続可能で人々が安寧に暮らしていくことの出来る社会を創造していくためには、これまでの不動産バブルにおける人間のあさましい姿を反省し、新しい地と人の関わり方を模索していく必要があるということです。

それが一足先に不動産バブルとその崩壊を経験した日本のそして私自身のこれから行っていかなければならないことだと、改めて考えさせられる話題でありました。