衆人環視の中のワクチン接種
何日か前にワクチン接種後に190人死亡というニュースが出ました。
この他重篤者も多数出ているようです。
この話題をめぐってはネットの掲示板でも熱く語られているようで、「大変だ」「いや大したことない」の意見が交錯しています。
厚生省の見解によれば死亡した190人とワクチン接種との因果関係は認められないようですが、ワクチン接種後まもなく死亡している人がワクチン接種開始後数か月という短期間でこれだけ出ている現実を見ると、ワクチン接種に慎重になる人が多数出てくるのが当然でしょう。
またこのようなことは恐らく前代未聞の出来事であると思いますので、一時ワクチン接種を中止するという議論が当局周辺から出てきてもおかしくないと思いますが、今のところそういう気配もないということも一部の人たちの警戒心を深めているようです。
今回のワクチン接種にはもう一つの恐らく史上初というものがあります。
それはコロナ蔓延への切り札としてワクチン接種が出てきて、その接種とスタートとその後の顛末が文字通り衆人環視の中で行われているということです。
しかもテレビや新聞などのオールドマスコミだけでなくネット等の情報化社会を象徴する情報伝達ツールも膨大な人々で活用される中で。
みんなが自らの身体、健康更に生命に関わる事柄を固唾を飲んでいる見守る中でのワクチン接種です。
何か敏感な人々が違和感を持つような事象が出てきた時にはネットがあります、見逃されるわけがありません。
そしてその出てきた情報に対して隠ぺいだとの疑いが出るような対処の仕方をした場合、やはりネットがあります、情報がすぐ伝達します、尚更不信感が噴出するでしょう。
これが21世紀の情報化社会というものなのです。
良く風の時代になったと言いますが、今ワクチンを巡って起きていることが、否応のない情報開示という風の時代の特性であることを皆様も覚えておいていただいてもよろしいではないかと思います。
今のワクチン副反応と後遺症の騒動が今後どのようになるか、まだ私にはわかりません。
しばらく何らかの結論に収束していくという可能性は高くないようです。
ただ一つだけ言えそうなことがあります。
当局も、また何らかの利益や思惑だけでこの問題に対処しようとしている人たちも、またもちろん私達一般の人々も、「情報化」というものを平成の延長線上で軽視するとその本当の恐ろしさを近い将来見ることになるかもしれないということです。
情報がなし崩し的に開示されていくという展開の中で。
過去の歴所を紐解けば、このような社会的混乱は新しい社会への入口になるものでもあります。
新しい社会、情報化、そのための新しい情報の収集方法。
直観力を高める、それも一つの方法だと思えるのですが。