ワクチンと情報について
コロナのワクチン接種について、連日色々なニュースが出ています。
ワクチン打ってホッとした。
ワクチン接種が進まない。
ワクチン接種の予約殺到。
オリンピックのアスリート接種優先の憶測とそれへの賛否。
そしてここ数日は、大規模接種センターと防衛省の話題で持ちきりです。
いずれも、ワクチン接種の遅れに対する問題として指摘されています。
この前提は、「早くワクチン打ちたい」です。
しかし、もう少し視野を広げてみると
ワクチン接種の危険性
ワクチン接種と死亡例
ワクチン開発で動物実験で全滅したという噂とワクチン接種の恐ろしい後遺症の噂
もう少しで良い飲み薬が出るんじゃないの?弱毒化するんじゃないの?
今の日本の感染状況と過去1年の死亡率から見て、ワクチン接種の方が危険?
この前提は、「ワクチンを打たないといけないの?何か怪しいから打ちたくないんだけれども?」
です。
今回面白いのは、ワクチンの効果と安全性を疑いもなく信じている人とワクチンに懐疑的な人に結構綺麗に分かれているところです。
そして私の小さな世間から敢えて言わせていただきますが、ワクチン接種について両者の間にお互い別の宇宙人のような接点のない感じ方の差があるように見えるのです。
つまり、お互いがお互いのことを理解しがたい、と言うような。
しかも、ワクチン懐疑派も意外と多い。
このような状況であるにも関わらず、大手マスコミの報道が解せません。
普段人種や性別の多様性を認めよなどと格好良く声高に叫んでいるにも関わらず、ワクチン接種に関してはまるでワクチン接種に逡巡している人がいないかのような報道をしているところが少なくないのです。
ワクチン接種逡巡者の存在を無視している、と言いましょうか。
ワクチン接種に対するスタンスも本来多様性があるはずなのですが、不思議なことに大手マスコミの世界ではワクチン接種に逡巡する人々が人として認められていないようなのです。
いや更に進めて、ワクチン接種に逡巡している人は、陰謀論を直ぐに信じてしまう頭の悪い人たちである、と言うような印象を与える報道も散見されます。
そしてひたすらワクチン接種を煽っている、と言いましょうか。
ですので、ワクチン接種に逡巡している人たちは、何か裏があるのでは(民放のスポンサーにワクチン接種で儲かるところもあるでしょうからね)と尚更懐疑的になるという悪循環に陥っていると言えましょう。
このような状況を緩和するために、ワクチンに関する肯定的、否定的、双方の情報を民に提供すべきです。
それがマスコミの本来の使命と言えましょう。
大手マスコミのいわゆる自ら賢いと自負しているであろうエリートと呼ばれている社員は、旧来のように目先の利や忖度を慮って小利口になるのではなく、より視野を広くし俯瞰して自らと社会の現在の状況と未来を考えてみる、ということが本当に賢い人間の行うことであるということを深く胸に刻み報道態度を改める必要があろうかと思います。
このコロナの出現は、これまでのオールドメディアがはたして今後使えるか(つまり視聴者の信頼を繋ぐ止めることが出来るか否か)ということを鋭く問い詰めることとなります。
そしてこのことは大手メディアに留まらず、他のエリートと呼ばれている経営者や会社員にも、広く同じことが突き付けられていると言えます。
大きく変わる社会の中で、前例踏襲の価値観と思考行動パターンの中で果たして会社も個人も生き残ることが出来るかという。
私の答えは、「否」ですが。