土地親和論 ‐ ワクチン接種から閃いた原点を見つめるということ(その1)
今回はちょっとセンシティブな話題です。
ワクチン接種に関する話題です。
もちろん私はここでワクチンを打つべきか打つべきでないかを論じるわけではありません。
土地親和論の各論ですので。
まずワクチンに関わる現状についてですが、テレビや新聞からの情報は相変わらず心もとないものが散見されますが、ネットからの海外も含めた情報を虚心坦懐に注意深く吟味すれば、おおよそ現状のワクチンについて様子がつかめつつあるかに感じます。
特にイスラエルの状況は3か月後の我が国の状況を占う上において参考になるかもしれません。
ところで私の周囲でも大分ワクチンを接種した人が多くなってきました。
私の親しい人間も何人も接種しています。
ところでそんなワクチンを接種している人を見て、ちょっと気になることがあります。
それはワクチンを接種する理由です。
一般的にワクチンを接種する理由としては、
・ 自らの健康防衛のため(年齢や自らの身体の状況によってワクチン接種の可否やタイミングを判断することになるでしょう)。
・ 家族も含めた他の人にうつさないため(この理由は昨今ワクチン接種しても自ら感染するし、他人にもうつしてしまうということが明らかになりつつある状況では、合理的な理由でなくなってきていると言えるかもしれませんが)
・ 海外に行くため(現在ワクチンパスポートが流行りですので一見合理的な理由になりうるとも見えますが、ワクチン接種しても他人にうつしてしまうということに加え、万一今後ワクチン接種に中長期の後遺症のリスクがあることが判明したとしたら、海外に直ぐ入国できる等の理由だけでワクチンを接種したのは悲劇的にナンセンスな行為であったということになるかもしれませんが)。
あたりでしょうか(まだ他にもあるかもしれませんが)。
ところがワクチン接種をしている親しい人たちと話していると、どうやらこれ以外にとても有力な理由があることがわかってきたのです。
それは、
・ 周りの人が接種しているから
です。
この中には、所属している会社で接種するのが当たり前になっているから、とか、ワクチンを接種することが一般常識のある人間であることの証だから、というものも含まれます。
え、ワクチンって「そんな理由」で接種するものなのですか?
もちろんこれまでの普通のインフルエンザワクチンでしたら、過去の実績からその安全性がある程度見えているいわゆる枯れた技術と言えますから、「そんな理由」でも良いかもしれません。
ですが今回のワクチンは人類史上初の試みですし、現在まだ治験中ともいえる段階ですし、実際副反応が従来のインフルエンザワクチンに比しかなり強いものですし。
ところが中には「そんな理由」で解熱剤片手に接種会場に乗り込んでいき、しかもその武勇伝を喧伝する人さえいるのですから驚きです。
上でも書きましたが、ワクチン接種に関して中長期で何か良からぬ現象が出てこないことを祈るばかりです。
このようなことを通して、私は改めて虚心坦懐に「原点を見失わない」ということの大切さと、往々にして世間や周囲の騒音によって「原点を見失ってしまうことがある」という現実を改めて認識することとなりました。
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