土地親和論 ‐ ワクチン接種から閃いた原点を見つめるということ(その2)
昨日のブログの続きになります。
ワクチン接種をするかどうかを、自らの健康を守るために行うかどうかで判断するのではなく、周りや世間常識をみて判断するという行為。
もし周りもまた周りを見て決める人ばかりだったら(往々にしてこういうことは起こってしまうものですが)どうするのでしょうか。
しかもまだワクチン接種直後の副反応に関する評価がまだ定まっていないようですし、また接種に伴う中長期のリスクも100%に近い確率で「ない」とも今のところは言い切れるような感じでもありません。
したがって、ワクチンを接種するか否かあるいはどのタイミングでするかということは運命の別れ道にもなる可能性もある重大な決断になりかねないと、少なくとも私は大げさでなく受け止めているのですが。
ワクチン接種という行為について、コロナの蔓延という異常な現状下で自らの身を守るために打つべき手段であると判断するかどうかという原点を見つめた場合、出来るだけ沢山の情報を収集し(もちろんこの中には周囲の情報を持っていそうな人にヒヤリングをするということは入ります)、かつ偏りのない静寂な心持ちに努めた中で直感(鼻を効かせる)も働かせてその接種のタイミングや可否を自らが(その結果の良し悪しについても腹を括って)決めていく、ということが至極当たり前の行動ということかと思います。
ところでこの「原点を見つめる」「原点を見失わない」ということ、これは人と土地との関係についても言えます。
人はこの世界で何をするのか。
それは生きていくのであります。
もちろん人により生きるということに色々な意味や意義があることは承知していますが、まず大前提は生きていくことです。
そして生きていく上において、土地の上を歩き、住まいの場とし、土地から生まれる恵みにより育まれていくのです。
土地に抱かれ、自然に包まれ、そして生きていくのです。
土地とともに息していくのです。
これが原点です。
そしてこの原点を基礎として、土地を利用して生業をしてそこから出てくる利得により生活していくなどの応用が出てくるのです。
しかし今の社会ではその応用があたかも王道のようになってしまっています。
そしてその応用が近年ますます複雑になってきていて、結果として原点が極めて見にくくなってしまっているという状況になっています。
私にとって今回のワクチン接種は、図らずも今一度この「原点を見つめる」ということの大切さを認識する良い機会になりました。
人はこの世で何をするか。
その答えは「生きていく」こと。
そしてそのために土地を使っていくのが「原点」だということです。
つまり人は土地とともに生きていくということです。
地と人は一体なのです。
ですから、人が地に心を寄せ心の中で折に触れ問いかけてみるということは、生きることの「原点を見つめる」ということでもあるのです。
そしてこのことはまた、まだワクチンを接種していない方々が今後どうするかを考えていく上においても、「生きる」という文脈において押さえておくべきことと言えるのではないでしょうか。
完