鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

宴のあとに何が来る?

オリンピックが佳境です。

日本選手の活躍もあり、日々日本選手やお気に入りの外国選手の活躍に一喜一憂している人も多いようです。

 

残念ながら私はテレビを持っていませんのでそうした周りの人たちを少し冷静に見ることが出来るのかもしれませんが、そのような人の中にはオリンピックに興じることで日ごろの不安、特に今感染が広がっているコロナに対する不安を何とか頭から取り除こうとしている人も散見されます。

オリンピックというある種非日常の世界に浸ることで一時不安を忘れる、いや不安から目をそらすようにするということでしょうか。

もちろん連日コロナの話題は引き続きニュース等で行われているようですが、時々見るニュースもコロナの話題はさらりと流し、「では、オリンピックの話題に行きましょう」というような具合で、やはり意識してお祭り気分を高めているように感じます。

まあ、その業界の人に聞けば、「こうすることでコロナで暗くなった国民に明るいニュースを伝えているんだ、どこが悪い、今まで何十年こうして来たのだ、素人は引っ込んでいろ」ぐらい言われてしまうかもしれませんが。

確かにその通りです。

私もオリンピックの話題で世の中を明るくするのは、生まれてからこの方大賛成でした。

私もこれまで日本選手を応援してきましたし、今回も応援しています。

日本がメダルを取ったというニュースを聞くと、大変うれしいです。

 

しかし、今回ばかりは日常の不安を忘れてオリンピックの話題にドップリつかってしまうということには、いささか異論があります。

その理由は、今回ばかりはコロナの問題、不安が依然として存在しているからです。

 

もちろんこのコロナの脅威をどのように受け止めているかは、個人個人よって違うでしょう。

若い人は総じてコロナをあまり気にしていない人が多いでしょうし(重症化が限りなくゼロに近い現状ではそうなるでしょうね)、反面ご老人は相変わらずコロナを脅威に感じている人は多いでしょう(実際、ご老人にとってはかなり脅威ですからね)。

しかし、世界全般、社会全般という捉え方ではコロナは目下非常に驚異的な存在であります。

このような世界全般にわたる脅威が存在する中でオリンピックを開催した、というケースは戦後初めてではないでしょうか。

オリンピックが宴化(うたげか)する商業五輪は1984年のロス五輪で始まったと言われています。

今回の五輪もこの流れの中で開かれています。

商業五輪がこのような脅威の中で開かれたことはありません。

 

そして五輪が終わった後、また戦後未曾有の脅威の世界に戻されます。

夢がさめたら、戦後未曾有の世界に戻るのです。

宴のあとは、これまでのような日常ではなく戦後未曾有の脅威の世界に戻るのです。

 

恒例の「オリンピックはお祭りです、ですから今は日常の嫌なことを何もかも忘れて楽しみましょう」などというな気分に今まで通り無防備に浸ってしまった人は、宴のあとに日常の嫌なこと+コロナの脅威が目の前にまた現れた時、一体どうなってしまうのでしょうか。

 

しかも、これは私の気のせいかもしれませんが、オリンピックにドップリ浸かっている人に限って、コロナの脅威に過敏な人が多いようのです。

恐らくコロナの脅威が大きいが故により一生懸命オリンピックで紛らす、という行為の結果かと思われますが。

また往々にしてそういう人は日ごろテレビをよく見ているようですので(テレビをよく見ているからなおさらコロナの脅威を感じているともいえますが)、テレビの煽りもあって一層目を瞑ってオリンピックだけに浸ってしまっているようなのです。

テレビと抱き合い心中みたいな感じでしょうか。

 

ともかく、今回ばかりはオリンピックをいくらお祭りムードで盛り上げても、その後の現実は残酷なほど元に戻ってしまうということが容易に予想されます。

 

であれば、放送する側も見る側も、今はこれまで経験していない社会情勢であることを頭に入れ、当然オリンピックは今まで通り楽しむとしても、どこかで冷めたところを持っていないと、宴のあとの気分の落ち込みはこれまで経験したことのないものになるかもしれません。

恒例の「オリンピックで世の中の気分は一新、その後はハッピーでめでたしめでたし」というこれまでの法則は働かず、いやむしろオリンピック後の気分は以前より悪化し荒れるということすら考えられるのです。

報道する側はいうまでもなく、その受け手も一人一人が感性を試されているということです。

 

コロナ下のオリンピックはお酒と同じと言えます。

その時は嫌なことを忘れることは出来ますが、今回のような脅威に満ちた社会情勢ではオリンピックが終わればその癒し効果は即座に消え去るのです。

それどころか、お酒と同じように飲みすぎて酔い過ぎると二日酔いどころか3年酔いぐらいの深刻な心理的落ち込みに見舞われるかもしれません。

あるいは酒乱状態になってしまうかもしれません。

またこれは個人限ったことではなく、上に書いたように世界全般、社会全般という捉え方でもコロナは目下非常に驚異的な存在でありますので、例えば日本社会全般が極度の二日酔いをしてしまうということが起きてしまうかもしれません。

 

時あたかも、真偽は定かではありませんが、ワクチンの効果やその接種に伴う中長期的なリスクといったものに関わる情報がぽつりぽつりと出てきています。

この日本には「ワクチン接種さえすればあとは何の心配ない」という巨大な集団が既に存在しています。

この集団の中には「ワクチン接種」が「宴」に相当する位置づけに感じられる人もいないとも限りません。

 

「宴」のあとの日本、素面の人はシートベルトをしっかりとしめておいた方が良さそうです。