大阪 666(その2)
1日あいだをおきましたが、今日は666の話しの続きです。
まず考えなくてはならないのは、そもそも大阪のコロナウイルス新規感染者数666人というニュースはいわゆる第6感的情報として注目する必要のあるものなのか、ということです。
私の結論は、イエス、注意せよ、です。
確かに666という数字は、探せばどこかには転がっているでしょう。
そのような数字を無理やり引っ張り出してきて、「ほら666だぞ」、と言われても恐らく何とも感じないと思います。
しかしこのケースは、大阪で一旦収束しかかったと思ったコロナがまたぶり返し、嫌でも皆が再度注目し始めていた感染者数の数字にわざわざ気が付いてくれと言わんばかりに666という数字が表れた、ということです。
昔風に言えば天からの何かのサインであるかもしれない、と注意する必要性を感じます。
では、ここから読み取れる注意する必要性を感じる情報は何なのでしょうか。
この場合数字という記号、つまり抽象的なサインが問題となっています。
従いまして、ここから出てくる情報も抽象的なモノとだと考えられます。
例えば、隣の家が火事になるかもしれないから注意、等という具体的な情報ではないということです。
では、どんな情報でしょうか。
私が考えかつ感じるには以下の2つ。
- コロナに関して
- 大阪に関して
です。
この予想、当たり前ですかね。
でも相手は666です、思った以上に深い問題に繋がっていくかもしれませんよ。
続く