風の時代の、扉(その3)
昨日に続きです。
昨日、これから社会的(経済的)な混乱が近い将来訪れることは覚悟している必要があろう、と書きました。
この社会的(経済的)に混乱するということは、人が現在の価値観を乗り越えてどう生きていくか、どう考え選択していくか、という時代に差し掛かったということを意味し、これこそが「風の時代」に入ったということの現実の姿であろうかと思います。
このことは、当然個人個人に関しては今まで通り変わらないという選択肢もありますが、時代はその選択を許さない、ならば変わるという選択を行わざる負えない、であればむしろ自らが主体的に自分流で変わっていこうではないか、どうやって、自らの奥底の心を訪ねて(そうすれば第6感も味方してくれる)、という流れで進んでいくことを求められる、そういう各人ある種腹を括る局面が来つつあるということを意味するものと言えます。
ですから、日常軽いタッチで、「風の時代」であなたも変われる、だから何々先生のセミナーに行こう、等という誘い文句は、よくよく確かめて乗るか乗らないかお決めになられた方がよろしいかと思います。
ところで、それでは「風の時代」は人々にとって生きやすい時代なのでしょうか、そうではないのでしょうか。
上で書きましたように黎明期は社会的にも個人的にも軌道修正を伴う混乱が生じることが予測されますので一見大変そうに見えますが、私はそうではないと思っています(もちろん大変な人はいると思いますが)、特に今まで生きづらかった人にとっては。
続く