成果主義って本当にできるの(その3)
私が成果主義を例に出して言いたかったことは、以前ワクチンのブログの中でも触れたことです。
それは、単語や名前などの言葉だけでわかったつもりになってはいけない、ということです。
日本には言霊信仰があります。
言葉に魂が宿るということです。
この言霊は心や場を清めるということにおいて大変重要な事柄であり、かつての日本人はそのことを良く知っていたと言えるでしょう。
ただこの言霊信仰のDNAが近年の即物的な世相の中で少しおかしな方に向かっているようで(今の人は無意識になっていますが)、昨今では言葉や単語があればそれで解決と思ってしまうところがあるようです。
この成果主義についても同じです。
「成果主義」と言う言葉さえあれば、それが何かおまじないのように万能薬におもえてしまうという、一種の病気です。
ワクチン騒動でわかるように、この病気が今の日本の老若男女問わず広く感染しているのです。
まともな判断能力があれば、例えばアメリカで成功した評価方法を、集団組織戦を多く用いる日本の組織風土にそのまま持ってきても上手くいくはずがないと解るはずです。
しかし、成果主義という呪文に一旦酔わされてしまうと、言霊信仰がDNAにこびりついている日本人は催眠術にかかったかのように、大して中味を吟味することもなくふらふらと成果主義のあとを追いかけるようになっていくのです。
早く気付くべきです(もう既存の企業には手遅れかもしれませんが)、年功序列も日本人なりの一つの工夫だったということを。
もちろん今は戦後の成長期とは時代が違いますので全面的この方式を採用しろとは言いませんが、年功序列で生きる組織内の人間はどんな人かということを、企業なり社会はもう一度振り返ってみるべきです。
そして、年功序列の仕組みの中でもう一度評価するべきものを探さだし、現在なりにアレンジして採用していく努力をしなければなりません。
要は(古くは漢字から昨今ではアニメやファッションなど様々な分野で行ってきた)日本人が得意の成果主義の日本的魔改造を行うということです。
年功序列から学ぶべきもの、それは何でしょうか。
続く