成果主義って本当にできるの(その4)
その前に、何で年功序列が悪く言われるのでしょうか。
その答えは言うまでもありません。
無能なオヤジがただ長くいるからと言ってふんぞり返っているからでしょう。
今の若者にとってはやりきれないことでしょう。
確かにその一面は強くあります(そのオヤジの中には、かつてはバリバリ働いていたオヤジもいるかもしれませんが)。
私も、これは年功序列の弊害だと思います。
ですから昨日のブログで年功序列を全面的に採用すべき、とは言っておりません。
では年功序列の中で評価すべきものは何でしょうか。
それは、以前に触れましたが不器用な人、目立たない人にも年功と言う形で光があたり将来の安心が提供される可能性があるということです。
これにより組織という共同体がそのような人を守っているという形式が出来上がり、その結果時に(成績のためにアピールするというような不純な動機なしに)個の成果に結びつかない純粋な助け合いという活動が生まれる余地が存在するということが言えます。
また、成果を気にすることなく仕事を楽しむことが出来るという余地も、わずかながら生まれます。
以上二つの要素がいかにその組織に貢献したか。
これらの多くが成果主義の下消えてしまいました。
ましてや今は非正規労働者の人も多く組織内に細分化した階層が生まれ、その階層間で疑いの目に満ちた監視やくだらないマウンティングの取り合いが行われ、組織の求心力はほぼなくなっています。
これでは、「ダメ」でしょう。
「成果主義」、この言葉の呪文によりこうなってしまったという側面が強いのです。
続く