成果主義って本当にできるの(その2)
昨日の続きです。
成果主義においてちゃんと評価は出来るのでしょうか。
「いやいや、査定項目が詳細にわたって行き届いているから大丈夫だ」という人もいるでしょう。
でも、いくら精巧なマニュアルが存在したとしても、それを上手く運用できないと何の意味もありません。
どうせどこかで鉛筆をなめるところが出てくるのでしょう。
しかも査定項目(どこかの海外のコンサルかそれを真似たところが作成しているのでしょうけど)が昨日言書いた日本人の特性に合った内容になっているかどうかに疑問が残ります。
そもそも、昨日も書いた通り(特に日の当たらないところにいる人間、あるいは適材であれば光るが生き方やアピールが不器用な人間を)適切に評価できる資質を持った評価する側の人間がどれほどいるのでしょうか。
現在では、ほぼいないのではないでしょうか。
なぜなら、このような観音様のようなこと、あるいは織田信長のようなことは現在の普通の人間には出来そうもないからです。
結局情実が入り、上司の覚えが良い人間が高く評価され、そこから不適切な人間が出世街道を上がり、更に悪化したらせん状の出世ループが起こり、結果組織は腐敗し現在の体たらくの企業、社会情勢に行きつき、現在のような大転換期に右往左往してしまう、ということが現実に起こっているのではないでしょうか。
ここで申し上げますが、私は成果主義が憎くてここまで成果主義をこき下ろしたわけではありません。
日本独特の安易な言霊信仰に警鐘を鳴らしたくて書いているのです。
続く