成果主義って本当にできるの(その6)
日本流のアレンジについてもう少し考えて見たいと思います。
国際的にある方向に向かっている時に、あえて日本流のアレンジにこだわることは圧力もかかるし大変なことです。
しかしここで考えてください。
物事の本質を見極めそれなりのアレンジをして使い勝手の良いものを創ることは、日本の得意分野なのです。
その中には恐らく日本にしか出来ないものも多くあります。
要は日本のアレンジが世界をよりよくするということが沢山あるのです。
これこそが日本の世界助け、日本の役割、生きる道なのです。
ですから、当然利益団体やなんでも欧米(今はそれに中韓も入る時もありますが)が進歩的で正しいと思っている一定数の自称知識文化人の圧力は強いでしょうが、ここは腹帯を締め直して特に新人類は皆(この皆には人の他地や自然なども当然入ります)が助け合い光を当て合うには何が良いのか、ということを考え日本なりの進む道を模索していく必要があるのではないでしょうか。
これまでも再三このブログで書いてきましたが、今は歴史的な分岐の時です。
私も日本流というものはなんであるか、ということは私の専門分野である土地に関する考察を導入として、引き続きこのブログでも書いていきたいと思っています。
完