土地親和論 ‐ ついに心とモノのバランスをとるものとして( ① 表舞台に出てきたこと )
これまで何本か土地親和論に関するブログを書いてきました。
しかし私自身ブログを書きながら土地親和論に関して説明不足ではないかと感じるところが残っていました。
これからこの辺りについてもう少し掘り下げてみたいと思います。
私は以前のブログ「土地親和論」を以下のように提示しました。
「地と人は繋がっており一体です」
したがって、
「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」
と。
私が説明不足であると感じているのは、「地と人は繋がっており一体」であるということそのものについてです。
この部分について以前のブログである神社の中での不思議な感覚が発端であることをお書きしました。
確かにその時受けた感覚といいましょうか啓示といいましょうか、これがスタートです。
ただしこの啓示によって私が全く新しい考え方を発見したのかというとそうではありません。
この啓示が常々私が潜在的に感じてきた考えを表舞台に出すきっかけの出来事であった、といった方が正しいかと思います。
ですからこれからここでお書きしていくことは決してスピリチャル系の話ではありませんし、またそのような話をするつもりも毛頭ありません。
当然私自身もスピリチャル系の人間ではありません。
それでは私が常々潜在的に感じてきた考えとは何か。
それは「モノと心のバランスを欠いている、従ってその両者を統合しバランスの取れたものにする必要がある」ということです。
続く