鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

土地親和論 ‐ ついに心とモノのバランスをとるものとして(② 問題点について書いてみる )

「モノと心のバランスを欠いている、従ってその両者を統合しバランスの取れたものにする必要がある」

これだけでは全く何のことかわからないと思いますので、土地親和論ですので不動産を例に出して説明してみることにします。

不動産の購入や開発を検討する場合、通常はその資産価値や収益性の側面を考えます。

家賃や居住環境といったものも、当事者の事情によって左右されるものもありますがその不動産に関する価値算定における要因となってきます。

もちろん金利の水準もそうですね。

要はすべて貨幣価値が裏付けとなっている不動産のモノとしての側面を見ているわけです。

 

それに対して不動産というとすっきりと割り切れないものやおどろおどろしい側面もあります。

数字に表せないもう一つの価値観念です。

これについては先日のブログで書きましたので引用してみます。

「しかし一歩現実の売買や開発などの現場になると、例えばいわくつきとか、契約は大安でとか、縁起を担ぐとか、何かオカルトチックな単語がしばしば登場します。

また建物の設計や建築にしても、地鎮祭とか、風水とか、エルゴノミクスとか、住みやすさとか、緑とか、オカルトチックであったり主観的感覚的な指標であったりと、およそ同じく代表的な資産である預金や株式などとは趣が異なるところがあります。

また私が実際に開発や売買取引の現場で仕事をしていた時も、扱う土地そのものやその取引の仮定において不思議なことが何度かありました(ここでは詳しくは書きませんが)。」

ざっとこんな具合です。

この他わかりやすい例でいえば、マンションの間取りも主観的で、中には傍目から見て意味不明の感覚的な理由で判定されたりします。

この家の間取り何となくヤダとか何となくしっくりこないとかという理由のことです。

またこの辺りの土地は何となく嫌な感じがするとかもあります。

そうです、意思決定に感覚や直感といった明らかにその人の心から出てくる情報が介在してくるのです。

しかし表面に出てくる不動産の評価や大小のディベロッパーが行う開発などでは、この

あたりのことは考慮に入れることはしません。

理由は合理的な説明が出来ないので考慮に入れようがないからです。

 

しかし現実にはやはり曰くつきの物件というものはあり、それを知らずに割安(通常曰くつきの物件は安いので)に釣られて買ってしまった新興企業にやがて騒動が起こり、結果としてその土地の曰くつきという神話が増強され、同時に自称業界の情報通が陰でその新興企業を成り上がりのド素人がと小馬鹿するといったケースもあるのです。

 

私はまだ会社に入って不動産業務の新米だったころよくベテランでいかにも海千山千の不動産屋といった強面の上司なり先輩から、不動産の実査つまり不動産を生で良く見て精査することの重要性を叩き込まれました。

不動産を生身で良く見ると、通常見えてこないモノも見えてくるものだと。

そういった教えのもと物件を精査する過程で私自身も土地や不動産に意味不明の直感的な違和感を覚える機会が何度かあり(トラブル回避に繋がったこともあります)、不動産のもつ不気味な奥深さを実感してきました。

その結果出てきた結論が、土地や不動産は金勘定を背景とした価値観だけで測ってはいけない、土地や不動産は息をしており生きているということでした。

 

人は土地や不動産に対して数字に表せないもう一つの価値観念を持っている、またこの価値観念はある人とある土地の間であたかも人と土地がキャッチボールをするような個別的主観的な関係から発生するという特徴を持っていて文字通り数字のような客観的な尺度だけで表すことが出来ない、ということです。

そして上に書いたように数字に表せない何か別の価値尺度については私以外の人にも広く一般的に存在していることは疑いの余地はありませんので、客観的な尺度で表すことが出来ないからといってこれを無視してはいけないということでもあります。

 

しかし現実の不動産に関わる業界では私の不動産鑑定も含めてこのことについては、そもそも評価できない、非科学的である、といった理由で表向きこの側面に触らないようにしているのです。

要は解らないから無視しているのです。

数字化して目に見える物質的価値のみに焦点をあて、目に見えない精神的価値はないものとして処理しているのです。

 

一方、目に見えないものはそのまま無いモノなのかというとそうではなく、方角とか風水とか霊能者とかお祓いとか、そこはまた全く別のワールドが存在しています。

 

そして両価値観の接点は限りなくゼロに近く、不動産に関わる当事者の判断がどちらかの価値観にいびつに傾斜しているといったケースが圧倒的に多いのが一般的な風景です。

 

続く