土地親和論‐土地親和論とは(上)
本日は私の考える「土地親和論」とは何か、について書いてみたいと思います。
「土地親和論」を以下のように提示します。
「地と人は繋がっており一体です」
したがって、
「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」
ということです。
そしてそのための大きな第一歩は
「地と人は繋がっており一体です(地人親和)」
という心の知(概念)を人々が広く(人によっては心の片隅にでもよいので)共有していくことであると考えています。
今まで私が実務として不動産を扱う時には、常に不動産の財産価値や収益性を図るという作業すなわち不動産の数値化というものを大前提としていました。
私が資格を保持している不動産鑑定なども典型的な例であります。
この不動産の数値化が現在経済社会の基盤になっているとすら言えましょう。
しかし一歩現実の売買や開発などの現場になると、例えばいわくつきとか、契約は大安でとか、縁起を担ぐとか、何かオカルトチックな単語がしばしば登場します。
また建物の設計や建築にしても、地鎮祭とか、風水とか、エルゴノミクスとか、住みやすさとか、緑とか、オカルトチックであったり主観的感覚的な指標であったりと、およそ同じく代表的な資産である預金や株式などとは趣が異なるところがあります。
また私が実際に開発や売買取引の現場で仕事をしていた時も、扱う土地そのものやその取引の仮定において不思議なことが何度かありました(ここでは詳しくは書きませんが)。
そもそも不動産というと住宅や工場やオフィスや商業施設・ホテルなどの財産物がすぐ頭に浮かびがちですが、実際はそうではなく私達の周り全てが不動産なのです。
田も畑も山も森も公園も道も神社仏閣も何もかも。
その中で大切な食べ物を作ったり日向ぼっこしたり散策したり黙々と歩いたり参拝したり、これすべて不動産(または地)を利用しているということなのです。
夜寝ている時も同じです、不動産の上で寝ています。
つまり、私達の生活すべてが不動産とともにあるのです。
地とともにあるのです。
地とともに呼吸してきたのです。
私達と地は運命共同体なのです。
ところが現代では、住宅を売ったり買ったり、土地や工場や店や産廃の用地を売ったり買ったり開発したり、その時だけ何故か人は土地や建物をお金としての価値だけに見立てているのです。
確かに不動産は財産価値がありますのでお金に見立てるのは当然でしょう。
しかし、そんな時でもその不動産は私達と運命共同体である地あるいは不動産というものでもあるということを忘れてはならないのです。
大手不動産会社や建築会社の部長が地鎮祭でどの会社の誰が順番で鍬入れを行うかなどというようなことを考えている暇があったら、そんなことは脇においてその地を利用させていただく感謝の心を持ちこれからも地とともに歩ませていただくことをその土地で瞑想でもしながら祈願していた方がどんなにかマシなのです。
縄文の昔より日本人には大地や森そしてまわりのすべてのモノと親和し助け合うという精神が宿っており、日本の文化や芸術にもそのことが色濃く表れています。
そしてそれが世界のどの民族も真似が出来ない日本の特徴でありまた強みにもなっていると私は考えています。
しかし残念ながら、現在はその日本人の心のDNAともいうべきものが表面的には失われつつあります。
コロナ下で世の中が混迷し新たな未来への模索が急がれる今、まさに日本の強みを発揮し危機的状況に陥りつつある世界に貢献する時が到来しています。
そのためには上に書いた日本人の心のDNAの復興が必要なのです。
私がプロローグで木々から教えられたのはこのことではないかと確信しています。
そして私は日本人の心のDNAの復興を目的として、地(不動産)という私にとって(皆様にとっても同様と思いますが)親しみのあるフィールドを使った「土地親和論」をその復興への入口の役割を果たすものとして考案したという次第です。
次にディープエコロジーについて触れてみたいと思います。
続く