鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

土地親和論 ‐ 土地親和論を個人生活にどのように生かせるか考えてみた(その1)

本日のブログは私が97日に投稿いたしましたブログ土地親和論 ‐「私は土地親和論を授かった」の続編の位置づけになります。

 

ブログのテーマは、土地親和論を皆様個人のこれからの人生の中でどのように生かせることができるのだろうかということについて私なりに考えてみたことです。

 

まず初めに、土地親和論を以下提示します。

 

土地親和論とは

 

「地と人は繋がっており一体です」

したがって、

「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」

です。

 

このブログでは前段の「地と人は繋がっており一体です」の部分を取り出して、色々と考察してみることにします。

 

まず初めに奇妙なことを書きますが、そもそも今現在「地と人は繋がっており一体です」というイメージを既に直感しあるいは予感している人でしか、私の土地親和論に興味はわかないのではないかと思います。

9月7日のブログで土地親和論を「響く人には響く」人に提唱していきたいと書いたのは、この前提があったからです。

ですから、このブログは「地と人は繋がっており一体です」という概念や実感に対して抵抗感の無い方やご興味が沸く方を主に読者と想定して書いていくこととします。

 

「地と人は繋がっており一体です」というイメージはどこから感じるのでしょうか。

それは私たち自身の不思議な超自然的感覚と言いましょうか、直観と言いましょうか、ひらめきと言いましょうか、そのような類のところからでありましょう。

要は私達が私達自身の心で感じる、いや受信するということです。

 

そしてこの受信は私達(俗に霊能者と言われる人たちは除きます。)が無心の時、私心のない時、無意識の時、極限の時、等非日常の時空で一瞬の閃きのようなかたちで起こるということは、皆様方も自らの経験から容易にお判りになろうかと思います。

つまり俗世の執着から離れ、自らの心が開かれている時です。

そのような時に「地と人は繋がっており一体です」ということを感じることが出来るのです。

また私の体験から言うと閃きは一瞬ですが、そこから得られる実感は私達も含めたこの世界のあらゆるものが無数の糸で張り巡らされているというイメージを心に実態のあるものとして強烈に記憶させるものであります。

 

このことは、翻って私自身が「地と人は繋がっており一体です」というイメージに対して開かれた態度を取る、つまり「地と人は繋がっており一体です」というイメージに無私の状態

で心を向けている時に、このイメージを受信し自らの心の記憶の中に体得しやすくなるということでもあります。

ですから、私は過去のブログで「地と人は繋がっており一体です」ということに対して、日常散歩中とか買い物に行く途中でもよいので、ちょっとした折々で「地」やその周辺の木々や花々などの自然に心を向けてみたらと書いてきましたのは、こうした背景があったからです。

そうした日常のちょっとした心の視線の先に、後々長々と心に響き続けるスタートとなる無数の糸で張り巡らされているという一瞬の閃き、一瞬のイメージ、が心に浮かぶかもしれないのです。

 

そして私の経験から言えば「地と人は繋がっており一体です」という実感を持つうようになると、縦横の自然(この中には横の人間も入ります)に繋がり従来の物質偏重の心持ちでは見えなかったような情報を(心の目を通して)見て聞いて感じることが出来ているという実感を持つことが時として起こるようになり、その結果得られる情報量が自分でも視野が広くなったかなという感覚を伴いながら増えていきます。

ここのところは大切なことですのでもう少し私の感じたことを書いていきます。

私は以前のブログで書きましたように「地と人は繋がっており一体です」ということが閃いたのですが、その後その実感が深まるにつれて物事の見方に以下の変化が生じてきたことを感じました。

 

それまではこんな私でも多少の直感はありましたが、ご多分に漏れず私の思考や情報は従来の目に見える社会に立脚した物質的価値観、具体的に言えばお金、土地などの財産、仕事、社会的体裁、他人からの評価、等々へ重きを置いていました。

もちろん人への親切、誠実、生きがい等もそれなりに大切なことではあると理解をして実感もしてはいましたが、それらの精神的価値も今にして思えば上に書いた物質的価値と絡み合った中でのものでした。

目に見える世界に大きな割合で心と態度が引っ張られがちであったということです。

 

しかし私の心の閃きにより「地と人は繋がっており一体です」ということを実感したことにより、こうした態度に変化が現れました。

 

続く