鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

コロナの話題で何故か光があたらないストレスと免疫ついて思うこと(その1)

コロナの蔓延とワクチン接種が話題です。

 

ところで個人的な話で恐縮ですが、1か月ほど前ふと自分の食生活が気になることがありました。

というのは、大変生々しい話で恐縮ですが、とあるよく行く食堂でこれまたよく注文するダブル餃子定食なるものをオーダーしようと思った時(そこはタッチパネルで注文を受け付けますので、正確にはタッチパネルで注文確定のボダンを押そうと思った時ということになりますが)、お米の種類に目が行きました。

いや正確には以前から気が付いてはいたのですが、白米のほかに玄米があるということが突然私の視界の中になだれ込んできた、と言えましょうか。

これまでは玄米など目をくれず(恥ずかしながらそもそも私のここまでの人生で玄米を食べた記憶がないのです)、迷わず白米でした。

しかしその日はそこまで空腹ではなく白米だとおなかがちょっと苦しいかなと思いましたので、それでは玄米にチャレンジしてみようか(玄米は健康に良いと聞いていましたので当然お腹にもやさしだろうというイメージがあるように私には思えましたので。が、後で調べたら消化は良くないみたいですね)という選択肢が生まれてしまった、という次第です。

結果、玄米を注文しました。

玄米版ダブル餃子定食、まずいと一部で評判の玄米も私にはその素朴な風味が好感出来て、お陰様でおいしくいただくことが出来ました。

今では、健康にも良さそうなので次回も玄米にしようかなと思っているところです。

 

で、食後本当に健康に良いか検索したのですが、その時「玄米は免疫力を挙げてくれる様々な栄養成分を含み云々」という文字が目に入ってきました。

免疫力?コロナで今話題の免疫力?コロナワクチンで良く話題にされるあの免疫力?

そうです、その免疫力です。

 

実は私自身、今やワクチンを接種しようがしまいが運が悪ければコロナに感染してしまうのは解っていますし、またワクチンにより人工的に獲得したコロナウイルスに対する免疫力も個人差はあるにせよどうやら寿命があることがわかってきていますし、またワクチンを接種して免疫力が切れかかった時は接種していない人より感染も重症化もしやすくなりそうなどという恐ろしい少数の観測(コロナワクチンについては少数の観測による不利な噂が結局現実になってしまうというケースが続いてきていますので、この噂も油断できません)も出てきている中では、ワクチン接種未接種問わずマスクや手洗い消毒などの日常の予防に加えて自衛のため自らの自然の免疫力を活用することも重要なのではないかと最近改めて感じていました(すみません、私は専門家ではありませんので用語の使い方が厳密でないことはご容赦ください)。

ま、これは当たり前のことですが、ワクチン接種が始まってからこの話題はかき消されていたようで、ワクチンも当初の万能感あふれる華やかな前評判の割には粗がチラホラ見えてきている最近になって、私も改めて自らの持っている自然の免疫ははるか昔からのご先祖様によるありがたい贈り物なのだと再認識してきたところといった方が良いかもしれません。

 

それで改めて免疫力アップに良さそうな食べ物を調べてみたのですが、いや出るわ出るわ、全部食べようとしたら肥満になってしまうほどあります。

しかも納豆とか乳酸菌の飲料とかお味噌とか、結構日常食べているものがそのリストの中に入っているので、では今まで通りで良いか、それとダブル餃子定食はこれからは玄米で決まり、などと勝手に自己完結しました。

それから折角免疫力に関心が向いたついでだということで、食べ物以外でも免疫力を上げる何か手頃な方法はないかと思い更に調べたら、ありました。

それが以下の内容です。すみません原典が不明なのですが、ネットの検索結果を抜粋、転記します。

「例えば「悲しい」「こわい」「腹が立つ」などのストレスがかかると交感神経が緊張し、免疫細胞の働きに関係する交感神経と副交感神経とのバランスが崩れ、結果免疫力が弱まる」。

なるほど。

要はリラックス出来ればよいのですよね。

これが1か月ぐらい前の、考えてみれば当たり前すぎて決して他人に自慢できない私の気づきでした。

 

自らの免疫力を挙げるには、ストレスをためないこと。

要はリラックスすること。

心静かにすること。

 

この時、私は私にとってはとても重要なテーマになるであろうあることに気が付きました。

それは、コロナにおいてもバランス、それも心と身体のバランス、精神と物質のバランス、についての視点が出てきたということです。

これは、私が「土地親和論」というカタチで常々考察していることです。

 

私も当然私自身や私の周囲の人たちの健康にかかわることですので、コロナやワクチンについては日常情報には耳を傾けあるいは必要であれば自ら調べてみる、などということはコロナの出現以降続けております。

そんな中でワクチン接種についての議論で以前から気になっていたことがありました。

それは、少なくない人がコロナに対してすべての人間が自然の免疫という防御力をもっていない無防備な状態であるような錯覚や恐怖心を持っているということでした。

それは一部のマスコミや専門家による情報発信の仕方にも間々問題があるかもしれませんが(もちろん今回のコロナウイルスそのものに対しては持ってはいないのでしょうけれど、それにしても当然個人差はあるものの一般的にはそれなりの防御力はあるということかと思うのですが)。

その結果、免疫という話になるともっぱらワクチン接種による人工的な免疫の話しに終始するといった事態がここ半年くらい一般化してしまった感があります。

その結果ワクチンを接種するかしないかの果てしない議論が今続いているといったところでしょうか。

 

しかし本当のところは非常に多くの方々に自然の免疫という頼りになる防衛軍が身体の中で待機しているのです。

この防衛軍も鍛えない手はないでしょう。

そして、どうやらその中の有力な方法として、心を静寂にするということがあるということなのです。

もちろん専門家によってはそんな迷信みたいなものは頼りにならない、ワクチンのような人工的なものつまり西洋医学でしか対処できない、という人もいるでしょう。

あくまで私の勝手な推測ですが、ワクチン接種推進の専門家はそのような唯物的な人たちが多いように見受けられます。

この辺り、どのように解釈し対処していくかは個人個人の判断にゆだねられるべきであると私は考えますので、ここでこうすべきなどということは申しません。

皆様でお決めなられればよろしいかと思います。

しかし、その際自然の免疫というものをどのように評価するべきか、一度考えて見ても宜しいかと思います。

 

では、ここからは私の想像と言いましょうか、予感と言いましょうか、書いていきたいと思います。

 

続く