土地親和論 ‐ 200年に一度の歴史感覚と今は不動産も何も様子見の時(その1)
突然で恐縮ですが、モデルナとファイザーワクチンの異物混入のニュースは改めてコロナワクチン接種の良し悪しに波紋を投げかけています。
両ワクチンは多くの人が接種をしており、デルタ株を始めとするコロナウイルスの変異や未接種者の動向も絡みあいながら、日本民族の今後の健康の行く末に不透明感が漂っています。
また、既にコロナワクチンの接種推進の過程に関して意識的あるいは無意識の違和感に基づく検証が草の根レベルで一斉に始まってきていることは間違いなく、その結果草の根レベルでは政治、マスコミ、行政、医師、大企業等これまで権威権力を持っていたところに対して信用が出来なくなったとして、その信頼感が降下していると見て間違いないでしょう。
戦後75年営々として築いてきた権威が、自らの奢りによるものかはたまたそのピラミッド的組織形態がもはや時代にそぐわないものになってきたということか、信頼信用失墜というカタチで権力を失ってきているのです。
少なくとも私はそうであると見ています。
NHKの大河ドラマで、渋沢栄一を主人公にした物語が展開されています。
今はちょうど260年余り続いた江戸幕府が倒れ、明治政府が出来たばかりの頃を描いています。
今回の大河ドラマは幕府目線で描かれていますので、江戸幕府がその時代急速に進む国際商業化の波に対して上手く対応することが出来ず、結果としてその役割を終えていったという様相がよくわかる内容となっています。
武士を頂点とする江戸の幕藩体制が時代にそぐわないものになっていたということです。
ですから変わらざるを得なかったわけです。
たまたまアフガニスタンでタリバンがその支配を固めつつあり話題になっていますが、アフガニスタンという場所は東西南北に通じる交通の要衝に当たり比較的その支配の変化が激しいところ、つまり近隣地域にまたがる英雄が出現しやすくまたその支配者も変わりやすい地域でした。
それに比べて日本は島国ですのでそれほど支配体系が頻繁に変わっては来なかったといえようかと思います。
そんな日本の中で明治維新と並びドラスチックに支配体系が変わった数少ない例として鎌倉幕府の誕生が挙げられるのではないかと思います。
比較的支配の体制が変わらない島国日本でその体制が変わるということは、非常に大きな内部あるいは外部の要因が存在していた時と言えましょう。
この鎌倉幕府の誕生は、それまで絶対的な権威権力を持ってはいたがその当時にはその実力がその権威権力に遠く及ばなくなっていた平安貴族に対して、チカラをつけた武士がその実力通りの権力を奪取した出来事であったと私は理解しています。
歴史的には平家が平安貴族と鎌倉武士の中間に存在し、一足先に武士として政権を奪取はしていたのですがその後急速に貴族化してしまったということで、平家隆盛時はその前段となる保元平治の乱を合わせ重要な中間期とでもいうべきでしょうか。
いずれにしましても鎌倉武士政権の誕生は、それまでの貴族が能力やチカラがあるという伝統や権威や荘園等の既得権に基づく虚像から、文字通りチカラのある武士がその力に応じた権力を持つという実像に転換していった事例ではないかと私は考えています(歴史学の専門家からは色々ご指摘はあろうかと思いますが、今このブログで触れようとしている内容に沿って考えれば、このような解釈もあるということをここで書いておくことは必要かと思います)。
蛇足ですが、この他織田信長から江戸幕府誕生も一つの大きな節目でしょう。
この時は鉄砲という外来武器が大きな役割を果たしたように思えます。
なおここでは、鎌倉幕府誕生と明治維新について引き続き考えていきたいと思います。
それでは、現在はどんな時代なのでしょうか、
私は、鎌倉幕府誕生、明治維新に匹敵する、いやそれ以上の変化の時代に突入した可能性があると考えています。
今回はコロナとコロナワクチンいう黒船と、上で書いた権威への信頼感の失墜によってです。
繰り返しますが、私達は今現在歴史的変化の時代に生きていると考えています。
続く