土地親和論‐200年に一度の歴史感覚と今は不動産も何も様子見の時(その2)
私達は歴史的時代に生きている、昨日のブログの最後で私はこう書きました。
このブログを読んでいらっしゃる皆様は当然今現在生きているわけですから、私の主張がしっくりくるかどうかはそれぞれご判断してください。
ただ、私は私達が今歴史的時代に生きているということを確信しています。
100年先の教科書に大見出しで載るような変化を伴う時代です。
もちろんコロナワクチンが巷の一部で懸念されているような大規模な薬害事件に発展するようなことがあれば、足尾銅山鉱物事件や水俣病のように教科書に残るでしょうけれども、私がここで教科書に残るというのはそういう意味ではなくこれから起こる社会変化に対してです。
昨日も書きましたが、現在政治、マスコミ、行政、医師、大企業等の社会的権威に対する信頼信用が失墜しています。
もちろん上に挙げた個々の権威には従来から個別にいろいろ批判はありました。
しかし今回様相が違うのは、これらの権威が皆同じ事案でつるんで一斉に信頼を失墜させるような利益優先で国民不在の情報操作や誘導のようなことをした疑惑が出ているところです。
これでは人々に中にこれらの権威的組織に頼らず、これらの権威の中で善良で信頼のおける人たちとのみ連携したカタチでのバーチャルも含む独自のコミュニティを創ろうとする動きが出てきても不思議ではありません。
というか、出てくるでしょう。
これが社会の地殻変動に繋がるというわけです。
ただし、この変動は明治維新のように短期で国の仕組みが変わって舞うようなものではないと考えます。
なぜなら、いくら信用が失墜したと言っても、行政の組織特に地方の行政組織がまだ残っているからです。
(ただしそれ以外の組織は医師会のように事実上利益誘導組織化しているようなところもあり、個別に信頼のおける人をピックアップしていく必要になるのではないでしょうか。
そういう意味では政党もそのありかたが変わることになるでしょう)
私が明治維新に加えて鎌倉幕府誕生を例に出したのは、上のような背景がありました。
鎌倉幕府が誕生した時まだ京都の朝廷組織は権威としてはまだ健在でした。
鎌倉幕府は今風に言えば社団法人坂東武士草の根コミュニティみたいなものです。
しかしこのコミュニティが源平合戦を経てやがて幕府という公認の組織となり、その後約30年後承久の変を経て京都の朝廷をしのぐ権力も利益誘導力も持った全国組織に発展していった、という感じであったと私は解釈しています。
この例から考えて、今回の変化も既存の行政は残ってはいますがその行政の信頼に足る形で出来ることに限界が見えてきた、ということが背景ですので、行政と並列していく形でコミュニティによる助け合いの実効性が国内の隅々にまで浸透していくには、それなりの時間がかかるのではないかと考えています。
しかし、変化は確実に起こってきます。
それに伴い人々の価値観が変わっていくことになるでしょう。
今回の権威の信用失墜の背景には明らかに利益誘導という金銭的物質的欲求つまり物質偏重の価値観がありますので、コロナの脅威が今より少なくなり人々が冷静さを取り戻すにつれてそのような価値観に対する強い反省の総括が起こることになろうかと思います。
そうした動きの中では、例えば人生の中の比較的長い期間高額の出費をした上で所有していくことを前提とする持家について考えた場合、世の中が変化していく過程で家という財産を持つことはステイタスなどというような従来一般的であった価値観は考え直されていくというのが自然の流れというものです。
つまり、ここまで長々書いてきましたが、今後大きく社会の在り方とその背景となる人々の価値観が変化する可能性が強い今現在、「私も社会人として一人前になります」くらいの横並びの価値観を背景とした考えで家を買おうかとなどと思っているそこのあなた、しばらく様子見が正解ですよ、というわけです。
もちろん何らかの個人的なのっぴきならない事情があるなら別ですが。
そのあたりは個人個人の判断と事情によるいうことです。
では物質偏重の価値観の総括はどのような価値観を生み出すのでしょうか。
当初は物質偏重へのアンチテーゼとして精神偏重、自然偏重に偏ったスタンスが社会的に生まれるかもしれません。
当然このスタンスの中で社会生活上役に立つ考え方や生活スタンスは非常の多くあると容易に想像できます。
しかしこのような精神主義のみでは早晩呪術的社会に陥ってしまい、近代社会で育った多くの人々にとって受け入れられるものではないでしょう。
幸い現実は上で書いたように既存のシステムはそれを構成する人間のモラルの著しい低下により信頼失墜のカタチで形骸化したわけであり、そのシステムそのものの有効性が無くなっているわけではありません。
ですから、既存のシステムに精神偏重のスタンスをミックスし、精神的価値観と物質的価値観がバランスする形で活用するということが現実的でありまた有効な活用の仕方ということになります。
そして今や本当の意味で社会の表舞台に出てきた、様々なコミュニティを通して横の連携をしていこうと模索するいわゆる次世代価値観に目覚めつつある一団の人々が、上のようなシステムに馴染んでいくためには、その社会的な基盤となる共通認識なり哲学のようなものは必ず必要になります。
裏を返せば、この共通認識がないと社会は変革していかないと考えられます。
ここでもって、私がいつも言っている精神と物神を統合しそのバランスを取るというテーマが出てくるというわけです。
そして、そのテーマに人々が草の根レベルで理解しまた馴染んでいきためにはいろいろな方法があろうかと思いますが、私が考えている「地と人は繋がっており一体です」から始まる「土地親和論」の概念を理解し実践していくということもその中では有力な一つの手段になるのではないかと考えているところです。
くどいようですが、兎にも角にも今は不動産も何も様子見が肝要。
何かと世上騒がしい折ですが、当面心を落ち着かせ物事の本質を探る態度に勤めていくことがよろしいのではないでしょうか。
完
(参考)
「土地親和論」を以下のように提示します。
「地と人は繋がっており一体です」
したがって、
「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」