鈴木 優 土地親和論

鈴木優は、「土地親和論」を提唱し次世代における新しい社会創造のためには「地と人が一体であること」を実感することの大切さを説く。不動産鑑定士。不動産コンサルタント。

2022年が本格的に始まりました (前編)

今回のブログでは前回のブログで書きました今年の私のブログテーマについてもう少し詳しく書いてみようかと思います。

 

昨年末からこのブログでも書いてきましたが、今は大きな分岐点の時、今年もその流れが続きむしろ社会的にその流れが顕著に表れてくる年になるのではないかと思います。

 

そしてその底流にあるのは、人々の集合的な無意識の変化です。

 

心理学者のユングも注目していましたが、占星学の世界において現在はまさにこれまで約2000年超続いた魚座の時代が終焉を迎え次のみずがめ座の時代へと本格的に移り変わっていく最中に差し掛かっているという見方があります。

その意味は、キリストの誕生とともに始まり「愛」を信じるという心を理想として愛でながらも反面分裂の気配を常に漂わせ、その時代の最終期である現在ではついに心とその対称の位置にある「物質」が完全に分裂してしまい、人々の赤裸々な「モノ」への信仰が抑えられなくなってしまった「魚座」の時代が終わり、新しく「精神」と「物質」の統合というテーマが本格的に出現する「みずがめ座」の時代が始まるというように解釈されます。

そしてその時代の空気とそれに伴う人々の心の深層の大きな変化を背景として、聖書の中で描かれてきたような終末論的な世界が現在の社会に巻き起こってきているということは十分考えられることであります。

いや、私には既にコロナとワクチンによって半ば人為的にその世界が演出されているというようにも感じられています。

そして昨年からこのブログでもしばしば書いてきましたが、今年はそれら疫病の話題に加えて金融崩壊、食料エネルギー不足、環境問題と更に混乱に拍車がかかることでしょう。

 

これらは全て、上で書いたような時の大きな分岐点を背景とした人々の集合的無意識の変化と共時的に起こっていると考えられます。

 

では人々の集合的無意識の変化は私達一人一人にとってどう感じられるのでしょうか。

 

それは、価値観の変化です。

このことは、人々の心のあり方に変化が生じるとすれば至極当たり前のことと言えるかもしれませんが。

 

今年2022年はこの人々の価値観の変化に拍車がかかり、その流れをもはや止めることは出来ないということに、感覚の鋭敏な人々は自らの心のあり方やモノの見え方の変化から気が付くことになることでしょう。

 

そしてそうした人々を起点として、新しい生き方や社会の方向性が提案されていくということになろうかと思います。

 

ではその方向性とは何かについて、次回のブログで考えて見たいと思います。

 

続く

2022年のテーマ

2022年の初めのブログになります。

 

昨年はこの拙いブログをお読みいただきありがとうございました。

 

本年も昨年同様に「ただ私の書きたいことを書く」という感じでこのブログを書いていくことになろうかと思います。

よろしくお願いいたします。

 

今回のブログでは、今私の頭の中にある今年のブログのテーマについて極々簡単に書いてみたいと思います。

 

今年のテーマは「助け合いと希望」です。

 

昨年は世の中コロナとワクチンの話題に振り回され、何かと落ち着かない1年を過ごした方も多かったのではないかと思います。

 

今年も恐らくその流れが続き、更にいわゆる情報開示も進みまた経済や社会情勢の不安定も増大し一面今年以上に混乱した様相を呈すると思われますが、見方を変えれば「陰が極まった」ということであとは「陽」に向かう年になるとも解釈できるわけです。

 

ではどのような「陽」に向かうのかというと、当然これまでの社会に戻るわけではなく新しい社会の創造に向かうということでありましょう。

 

そしてその中で出てくる課題とは、私達の健康に関する情報開示や経済的社会的変動で

心身が弱った私達がどのようにして再び前を向いていくかということになります。

 

以上の予想に当然異論がある方も多くいようかと思いますが、少なくとも私はそう考えています。

 

ですから今年私が書くブログのテーマは自ずと「助け合いと希望」ということになります。

これは裏を返せば、既に価値観の変化に気が付いている人々を中心に「正直な情報」を交換し合うことが出来れば、人々は心を通じ合い励まし合い助け合い前を向いて進んでいくことが出来るという確信に基づいていることでもあります。

 

そしてその情報の交換の中には私の提唱する「土地親和論」のご紹介も当然入ってくると考えています。

 

ということで、改めて本年もよろしくお願いいたします。

 

(備考)

 

「土地親和論」を以下のように提示します。

 

「地と人は繋がっており一体です」

したがって、

「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」

2021年は信じる時代の終わりを予感し落ち着かない年だった

2021年ももうすぐ終わろうとしています。

 

今年はオリンピックや岸田総理誕生、4年ぶりの衆議院選挙等振り返ってみればイベントが目白押しでしたが、やはり一年を通じてコロナとワクチンに明け暮れた年だったかなというのが私の感想です。

 

そして私個人としてそのコロナとワクチン騒動を通じて浮き彫りになったことは、色々な意味での情報の開示でした。

情報の開示については以前このブログでも何度か書いておりますので詳しくはそちらをお読みいただければと思いますが、私はこの情報の開示がこれまで信じられてきた権威なり信用なりがその本当の頼りない姿を決して少なくない人々に見せてしまうという結果を伴いながら行われたという事実により、来年以降の社会の方向性に大変大きな影響を与えるものになったと考えています。

 

具体的には、国内で言えば行政、テレビやマスコミ、医師、一部の高名な研究者、大企業の運用能力、東大を筆頭とする高学歴の人が本当に頭が良いのか等々、海外で言えば国連やWHOなどの国際機関、一部欧米諸国の民主主義、ノーベル賞等の権威、そして海外のジャーナリズム等々、これまで一定の信頼なり権威なりを伴いながら信じられてきたものがことごとく張子の虎であったことが露呈したと私は考えています。

 

また科学の常識についても大きな疑問符か付いた年であったと思います。

コロナとワクチンなどはその最たるもので、私の目には時にワクチン接種が医学の話しを飛びだし、政治の話しになり更には大衆心理の誘導の領域の話しにまでなっているかの如く映ることがありました。

 

また上で書いたような情報開示に対する人々の受け止め方についても、私には印象深い一年になりました。

これまで当然のように情報開示があった前提でこのブログを書いていますが、人によっては情報開示など微塵もなくこれまで同様通常運転であったと感じている人が大変多くいることは判っています。

要するに従来の権威や信頼に対する信仰が盤石な人が非常に多くいるのです。

 

それに対して、私のように多くの情報開示があったと感じている人々も、全体から見れば少数派ではありますが決して少なくない数存在しているように感じます。

 

そして両派の距離は意外と大きくかつ中間派があまり存在しないという、まさに人類の2極化が表面化したということにも私には驚きでした。

 

一例を挙げれば、ワクチンで表面化した科学信仰がその典型的なものかもしれません。

 

このように、この一年は私にとって大きな発見が幾つもあり、正直言って落ち着かない年でした。

恐らく皆様の中にもいろいろ価値観というものを考える機会が起こり、落ち着かなかった方も多くいらっしゃるのではないかと思います。

 

しかしこの落ち着かない中でも情報開示を通じ自らの心の内を考えるきっかけが多くあり、結果として私の内面的には意義のあった年になったように思います。

これにつきましても、皆様の中にも私と同じような感覚を思っている方も多いのではないかと思います。

 

そんな中、年が暮れていきます。

 

来年2022年は2021年の情報開示による発見を基に自らの意識と深層の心に大きな変動が起こり、これから長く続く新しいパラダイムの時代への模索が始める人も多いかと思います。

そういう人たちにとっては、2022年は少なくとも産業革命以降長く続いた「信じる」時代が本格的に終わりを迎え、新たに自ら「知ろう」とする時代に入っていくという起点の年になるのではないかと思います。

そして私もその一人になっていくことと思います。

 

それでは次のブログからは2022年の舞台へと移っていくことになります。

 

因みに、2022年は私の提唱する「土地親和論」ももう少しお役に立つ時代になるのではないかと、心ひそかに思っている次第であります。

 

 

(備考)

 

「土地親和論」を以下のように提示します。

 

「地と人は繋がっており一体です」

したがって、

「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」

 

巷の噂では今大きな分岐点に来ているようです(その2)

前回のブログの続きになります。

 

前回のブログの最後で書きまし人々の2極化はこのコロナとワクチン騒動下で既に始まってことは確かですが、今後その2極化はこれからいよいよ決定的なものになると一部で言われています。

 

それはいつからか?

 

ズバリ冬至の日、つまり12月22日からです

この日を境に日の当たる時間が長くなっていく日からです。

 

もちろん、常識的な感性で考えれば今日から「はい、今日から皆様の生きるステージが変わります、スタート」みたいな感じで始まるわけではないのですが(スピリチュアル界隈ではこのようなニュアンスで言っている人もいるようですが、この世も人の人生もそんな単純なものではないですよね。)、占星術などではこの冬至が人々の意識や価値観の転換の時期であることを示唆していると解釈されることはどうやら間違いないようです。

この示唆は、ユング心理学的に言えば人類の深層心理に等しく存在しているある一定のパターンの一つである「死と再生」のモチーフを現わしているようでもあります。

 

また軌を一にして現実の社会では金融市場もバブル崩壊の助走に入ってきました。

今回のバブル崩壊は、今の史上空前のレバレッジの状況を見れば、人類がこれまで体験したことのない崩壊になり、その後遺症は(これまた一部で世界のひな型と言われている)日本の失われた30年をはるかに超えるものになる可能性も低くありません。

私は、お金による支配の終わりのはじめと見ています。

この他、コロナやワクチン界隈も、ワクチン接種推進を中心的に図ってきた何らかの人々(と言いましょうか、集団と言いましょうか、勢力と言いましょうか)が相当焦ってきて、ここにきてかなり強引にコトを進めようとしているようにも見受けられます。

気象変動に関する国際的な取り組みも動きが激しくなってきました。

地震や火山の噴火もやけに多いように感じます。

 

これらの兆候は人々の深層意識の変動と相互に呼応して連動し、まさにシンクロニシティの原理が働いているとも見受けられます。

心理学者のユングによれば、人類の深層心理における型は現実世界にも現象として現れるとのことですので、上に書いた「死と再生のモチーフ」の現象が今後現実世界でも展開されるということかと考えられます。

 

ですから、やはり人々はこれから自らの意識や価値観を変えないと、この世で上手く生き抜いていくことは不可能になるのです。

 

幸い人間の深層心理の転換は、すべての人々に起こっていることかと思います。

 

後は、各自が現実世界における「物質的」な諸々への執着を薄めて、自らの深層で起こっている自分の本当の心の変化に気が付き、それと向き合うことが出来るかにかかってきているということであります。

 

私の考える2極化とは、まさにこの自らの本当の心に向き合うことが出来るか否かということなのです。

 

ですから、ある意味では「今日から、はい、スタート」ではあるのです。

なお、スタート位置はほぼ同じですので。

 

そして、これから、老若男女等しく皆様、新しい旅を始めることが出来るのです。

 

ただしこれまで偉そうに書いてきましたが、私自身まだ物質的価値観から成仏できていません。

まあ、こういうところが人の人生のだいご味であり面白いところでもあるかもしれませんが。

 

是非、皆様もご自身の本当の心や本当にやりたいことを自らの心に尋ね、現実社会と折り合いをつけながら生きていくことを苦しみながら楽しんでみるのは如何でしょうか。

 

 

(備考)

 

「土地親和論」を以下のように提示します。

 

「地と人は繋がっており一体です」

したがって、

「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」

巷の噂では今大きな分岐点に来ているようです(その1)

先週「「人の子である」専門家を信じ込むという落とし穴とその後にくる情報開示」という題でブログを掲載させていただきました。

 

今回はそのブログの番外編として私が今後重要視されることになると考えている「情」というものについてもう少し書いてみたいと思います。

 

まず前回のブログの最終部分の抜粋を書きます。

 

「今後どんな価値観が生じてくるのでしょうか。

それは「心」を重んじる価値観です。

つまり「情」です。

これから人々はこれまでのヨロズ物事を物質的刹那的に割り切って考え処理する乾いた物質的な志向に飽き飽きとしてしまい、「情」つまり「ウェット」な感情を重視していく価値観や行動パターンへと移行していくと考えられます。

またあいまいな「直感」も重視されることになるでしょう(もう既に一部の人々の間ではこの「目覚め」は起きているようですが)」

 

と。

 

このくだりですが、この前段で現在の物質偏重の価値観が変わるということを書いております。

そして今回のテーマであります「情」とは、この物質偏重の価値観に疲れてしまい飽き飽きとしてしまった人々の心の深層において変化が生じる結果で出てくる価値観と考えています。

ですから、「情」が重要視されるということは、その背景に「物質的価値観」の放棄、あるいは「現世利益」の放棄、といったものがあるということです。

 

昨今世間では「断捨離」が流行り、またスピリチュアル界隈ではしきりに「捨てる」というワードが出てきます。

こういった現象の背景は上で書いた「物質的価値観」の放棄という流れがあろうかと思います。

つまり、例えば「断捨離」という行為は自らの深層心理における「物質的価値観」の放棄という変化の兆候を現実社会において儀式的に表現している、というようにも解釈できます。

 

しかしこの「物質的価値観」や「現世利益」の放棄は、現在の社会では大きな精神的肉体的苦痛を伴うものです。

というのは、「物質的価値観」の放棄とは単にモノやカネへの執着をなくすことを意味することではなく、地位、名誉、体裁、評判と言った社会的ステータスの放棄も意味するからです。

しかも、更にことを難しくするのは、「物質的価値観」の放棄とは実際に上で書いた「物質的」な諸々を手放すということを意味するのではなく(もちろん現実にすべてを手放し隠遁してしまう人はいると思いますが)、「物質的」なものを持ちつつ「物質的」な諸々への執着心を無くすということを意味しているからです。

 

執着心をくすぐるものを傍目に執着心を捨てるということは意外と難しいものです。

 

しかし実際には今後深層の心理状態に変化が生じ、このようなことをそれほど無理がなく行うことが出来る人々が数多く出てくることでしょう。

もちろん皆が皆それこそ人の子です、当然すべての執着が無くなってしまうということはないかと思いますが、この執着の程度が低くなれば生き方も変わってくるというものです。

 

一方、当然目の前にありまた手の内にある「物質的」な諸々への執着がどうしても手放せない人々も数多く出てきてしまうのです。

 

それが、私が考えているいや観ているといった方が正しいかもしれませんが、2極化です。

 

そして、今後社会は「物質的」な諸々への執着が薄くなった人々の割合が徐々に多くなっていき、そういった人々の生き方に社会的に抵抗感がなくなり、結果として紆余曲折を経ながらストレスの少ない社会へと移行していくということになっていくでしょう。

 

また、人々の生き方が変化していくのですから、当然その過程で人々の深層心理をうつす鏡と言われるこの社会も大きな変動に見舞われるということになります。

 

そしてその社会の変動はこれまでのコロナ騒動という第1幕が終わり、いよいよこの年末あたりからコロナとワクチン騒動に加え経済、食料、政治といったものの問題が絡んでいく

大騒動へとフェーズが移っていくことになろうかと思います。

 

このような大騒動の時には平常心が大切です。

上で書きましたが、「物質的」な諸々への執着を薄く出来れば、自らがどう進んでいけば良いかについて視界は悪くならないかと思います。

一方「物質的」な諸々への執着に固まった人々は、コロナやその他の恐怖に目が曇ってしまい、右往左往して中には社会的に文字通り滅んでしまう人も少なくないかと思います。

 

これが2極化の意味なのです。

そして巷では今まさにその幕が開いたと言われています。

 

続く

 

(最後に)

 

「物質的」な諸々への執着を薄れさせ、また日常のストレスを癒す方法はそれなりにあろうかと思いますが、私が提唱する「土地親和論」も大いに役立つものと思います。

ご参考までに。

 

(備考)

 

「土地親和論」を以下のように提示します。

 

「地と人は繋がっており一体です」

したがって、

「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」

「人の子である」専門家を信じ込むという落とし穴とその後にくる情報開示(後編)

前回のブログの続きになります。

 

まず前回のブログの最終部分の抜粋を書きます。

 

「コロナやワクチンの情報開示の過程で上で言った近代的な物質偏重価値観の限界が、「医療の専門家による人間臭い理由によるその信頼に対する期待外れの行動の露見」というカタチで人々に突きつけられることになろうかと思います。

 

恐らくこの情報開示はこの騒動を通じて感性がより鋭く進化した人々(全体の過半数とは言いませんが、それなりの割合の人がこの範疇に入るような気がしています)の価値観に大きな影響を与えると思われます。

そしてその現実の中で来年以降感性の進化した人々を起点として、人は目に見える物質的な価値観を指標として行動する機械ではない、人には目に見えない抽象的な心の作用つまり「情」というものも必要である、という至極当たり前の「常識」の必要性が改めて社会的にクローズアップされてくることになろうかと思います。」

 

と。

 

医療の専門家は本来その高い専門能力と併せて高い倫理観が伴ってこそ、信頼に値するものになるはずです。

また医療の制度やその資格試験においてその倫理観も担保されるということに、制度上はなっています。

これは私の所属している不動産鑑定士の世界でも同じです。 

専門家はその制度によって社会的に特権を与えられ守られている部分があります。

守られている理由は現代社会を安定させるために専門家が高い専門能力と併せて高い倫理観を保持しやすくするということが根底にあるわけですが、現状はその守られているという事情があるがためにかえって忖度や腐敗を生みやすくなっているという矛盾が出てしまっていように考えられます。

つまり専門家の特権が腐敗を生んでしまっているということです。

やはり専門家も「人の子」なのです。

 

そしてその背景の大きな理由の一つは、この世の中の物質偏重主義、拝金主義の蔓延でしょう。

物質偏重の価値観のもとで人々が物と金だけ拝んでいたのでは、倫理観が欠如してしまい腐敗してしまうのです。

 

良く特権を排除するためは、規制緩和や競争原理を導入すれば事足りるなどという議論が起こりますが、全般的な物資主義優位の世の中では何の意味もないです。

競争の結果やがて独占が生まれ特権と腐敗が生まれるだけです。

またマルクス的な共産制が良いという議論もありますが、私からすれば物質偏重主義を岩盤とする共産制では、かつてのソ連のような特権階級が生まれやがて腐敗が生まれるという結果になってしまうと考えています。

 

要は社会全般における物質偏重の価値観が変わらることが求められているということです。

 

この要求はまず、コロナの出現とそれに関わる情報の開示に過程で、健康という人々にとって必要不可欠な分野で信頼していたものによる腐敗の露呈と信頼の喪失ということから始まると考えられます。

そしてその失墜は専門家に留まらず、それを支える支柱である行政、国連などの国際機関、ノーベル賞に象徴される学問や研究、マスコミ、等々様々な現在の権威に波及することになるでしょう(もう一部のいわゆる目覚めた人々の中ではその失墜は始まっていますが)。

 

更に時を同じくして私の月食のブログでも書いた通り、人々の深層心理に変化の波が生じます。

まさに「風の時代」に相応しい共時性です。

 

人々に価値観の変更を求める外部環境が発生することに呼応するように人々の深層の心理にも因果関係によらない自発的な変化が起きる、こんな姿が来年以降生じてくるのではないでしょうか。

 

ではどんな価値観が生じてくるのでしょうか。

 

それはもうお判りかと思います。

上でも書きましたが「心」を重んじる価値観です。

つまり「情」です。

 

これから人々はこれまでのヨロズ物事を物質的刹那的に割り切って考え処理する乾いた物質的な志向に飽き飽きとしてしまい、「情」つまり「ウェット」な感情を重視していく価値観や行動パターンへと移行していくと考えられます。

またあいまいな「直感」も重視されることになるでしょう(繰り返しになりますが、既に一部の人々の間ではこの「目覚め」は起きているようですが)。

 

また長期的にはこの移行により人々や社会の倫理観も復活し、次世代社会における新たな専門家が再度信頼に値するものへと復活していくことにも繋がると考えています。

 

最後に、上で書いたような情や直感が重視される次の社会が本格的に成立していくには、その前に当然現在の物質的価値観から脱却できない多くの人々の激しい抵抗を経ていくという生みの苦しみが伴うことは覚悟しなければならないと思っていますが、一度長く続いたこれまでの価値観とは違う方向へ動き出した地球号の運命は誰にも止めることは出来ないのだと私は感じています。

 

最後に、これに関連して参考までに「土地親和論」を載せておきます。

 

 

(備考)

 

「土地親和論」を以下のように提示します。

 

「地と人は繋がっており一体です」

したがって、

「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」

「人の子である」専門家を信じ込むという落とし穴とその後にくる情報開示(中編)

前回のブログの続きになります。

 

前回のブログではコロナや不動産の事例を上げながら、いわゆる専門家と言えども「人の子」、従って専門家の言うことを鵜呑みにすると思わぬ落とし穴に嵌る恐れがあることについて書きました。

 

今回のブログは、またワクチンの話しに戻ることから始めます。

 

お医者さんは医学の「専門家」です。

当然今回のコロナやワクチン接種に関しては、専門家として素晴らしいアドバイスを与えてくれることを期待されていますし、また実際日本人はお医者さんに対する信頼性は高く、ワクチン接種などではテレビに出てくる専門家やかかりつけのお医者さんのアドバイスに疑いもなく従っている人も多いようです。

 

しかし、です。

これまでの経緯を見てみると、実際はかかりつけのお医者さんがそもそも免疫などは専門外で単に地元の医師会のガイドラインに沿って動いているだけであったり、またテレビに出てくる専門家がそもそも何某かの利害関係のある立場や方向性を持った人たちに偏っている可能性はあったりと、いわゆる「外部からくる影響」のもと忖度された行動や言動を取っている「専門家」も少なくないのではないでしょうか。

 

しかしそのような「専門家」でも、一般の人たちに説明する時は「なんでもわかっていて、自分の利害を顧みず社会正義のために身も心も捧げている清廉潔癖な大聖人」というように見えてしまうことが、「専門家」という衣に包まれているが故に意外と頻繁に起こってしまうものなのです。

 

実はこの現象が現在のピラミッド構造を持つ「物質偏重」な価値観社会の一つの大きな盲点なのです。

具体的に言えば、科学的、社会的、合理的に構築された資格を保持するこれまた科学的な権威に守られた各分野の知識見識的に頂点の領域に立つ「専門家」と言われる人が、常に理論的かつ聖人的に動くわけではないというわけです。

 

つまり物質偏重的価値観で作られた現代の諸々の専門家制度においては、人々も心が無い機械のように合理的に動く(また通常専門家つまり資格保持者はそのように動かなければならないという規定が法律的にされています)ということが前提となってその基本部分が造られてきていることが多いですが、実際にはその中のプレーヤーは生身の人間であって常に合理的に動けるわけではない、という限界があるということです。

 

ところで、これからコロナやワクチンについては徐々に「情報開示」が進んでいくということは、現状の流れを見れば既定の路線になっているかに思えます。

 

この情報開示の過程で上で言った近代的な物質偏重価値観の限界が、「医療の専門家による人間臭い理由によるその信頼に対する期待外れの行動の露見」というカタチで人々に突きつけられることになろうかと思います。

 

恐らくこの情報開示は多くの人の価値観に大きな影響を与えると思われます。

そしてその現実の中で来年以降、人は目に見える物質的な価値観を指標として行動する機械ではない、人には目に見えない抽象的な「情」というものも必要である、という至極当たり前の「常識」の必要性が改めて社会的にクローズアップされてくることになろうかと思います。

 

更にその動きは我ら不動産の世界にも当然波及してくるということです。

 

これが、私は「土地親和論」を提唱する一つの理由にもなっているわけですが。

 

では、もし「専門家」の意見が期待するような役に立たないとすると、どうしたらいいのでしょうか。

そして「情」はどのようなカタチでクローズアップされるのでしょうか。

 

続く

 

(備考)

 

「土地親和論」を以下のように提示します。

 

「地と人は繋がっており一体です」

したがって、

「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」