B/N 2021.01.29 風の時代 その4 神と人が通じる世界
昨今、日本の若者は物欲が無くなって草食になっていると私のようなオヤジ連中は嘆きます。
しかし、若者は一足先にみずかめ座の時代を生き始めているのかもしれません。
いつの時代もオヤジ連中は古いのです。
また、みずがめ座の象徴は統合であり、自と他の境もなくなるので、昔のソビエト連邦のような共産制になるという人もいます。
しかし、これも違います。
ソ連の共産制は唯物論が根底にありましたが、みずがめ座のイメージでは唯物が全くないのです。唯物的な見える世界に心の見える世界が統合するのです。
ですから、確かに物の所有感が希薄になりシステム的には共産的になるでしょうが、その中身は原始共産制と言いますか、要は神のようなものを感じながらお互い自発的に助け合い融通し合う社会のイメージが出てきます。
しかも、お互い神のようなものに通じていますから、お互いを尊重し合いあい、お互いの個性も生き続けていくのです。
なぜなら、この世界は万物が生まれながらにして大小、長短、同じではないのですから。
違っているのです。
ですから、神のようなものに通じるということは、そのあるがままを受け入れ共有していくということになるのです。
それらを無理に同じにしようとする、そのことが自ずと生じている流れに逆らうことになるのです。
抽象的ですが、特徴をざっと言えばこんなところでしょうか。
まとめれば、人と神のようなものが通じるというところが、ミソになるかもしれません。
それでは次に、このみずがめ座と私の関わりについてお話いたします。
続く