B/N 2021.01.27 風の時代 その2 異教徒弾圧•魔女狩りを経て
まず、魚座から見てみましょう。
魚座は愛に満ちあるれた星座であるようです。
愛を説くイエスキリストが魚座時代が到来したであろう西暦0年頃出現したことは、この象徴的な出来事と言えるかもしれません。
ですが、ここで問題が生じます。
魚座のイメージ図を検索すると、二つの魚が別方向あるいは勝手な方向に泳いでいるのです。
これは2つのものが分裂することを暗示しているように感じます。
実際、キリスト教が愛(心)を叫べば叫ぶほど、その声は単なる建前になってしまい、現実は醜く金(物)を追い求める時代になってしまったのが、この時代の特徴と言えます。
それと同時に、愛(信仰)を説くが故に、激しい異教徒弾圧や魔女狩りなど、光と闇がくっきりと分かれる時代であったともいえます。
更に、現世利益を求め即物的な傾向がある「地の時代」になった直近の約200年では、産業革命に伴う機械化により金や財産、地位等の目に見えるモノに対する欲求が頂点に達し、それに伴い現在では唯物的な思想が標準と化しています。
そしてそれに反比例するように既存の宗教の一部は腐敗し力を失い、一方現世利益や生き神様を奉じる新興の宗教があふれかえり、精神界も混乱しています。
また人々の精神状態も、上記のような世相を背景として目に見える世界やいわゆる自我という見える意識にのみこだわり、結果としてその中で封印された無意識の無制御な嵐に翻弄され、個々の人の意識と無意識が分断され魂がさすらっている状況に陥っています。
魚座の時代に相応しく愛という光を強調しその対極の闇を封印しようとしたばかりに、その魚座の最終期を迎えるにあたって、その内在する分裂のイメージにより闇として封印した即物、唯物に飲み込まれてしまった、更に「地の時代」の到来によりその姿が制御不能になり人間の意識では混乱の極みになってしまっている、というのが現状ではないでしょうか。
目に見えるモノ、意識できるもののみに光が当たり、結果としてそれを「信じていく」いう時代になってしまっていることから、光に映らない闇や裏に翻弄されてしまい反って混乱してしまったということです。
特に人間の自と他を明確に区別する「意識と無意識の断絶」は危機的状況にあると言っても過言ではないかもしれません。
そして、今では目に見えるモノしか信じない、感じない、という人で溢れかえっているのです。
それでは「みずがめ座」はどうなるのでしょうか。
続く