土地親和論 ‐ 情報開示の話(その1)
少し前に8月以降で起こりそうなこととして、情報開示がありそうという内容のブログを書きました。
今日はこのテーマについて触れてみたいと思います。
私は不動産に関係する仕事を長年してきました。
不動産というものはご存じの通りいわゆる高額商品が多いので、結果その成約による売買代金や手数料というカタチでも資金の移動が大変な大金になることもしばしばあります。
少し前ですが、天下の電通が業績不振による困難な状況をしのぐためその本社を売却して利益を出すなど、大企業にとっても不動産の取引は時に大きな意味を持つほどです。
そんなことですので、不動産の取引に当たっては、たとえ相手が気心の知れた先であったとしても、必ずしも本当の情報を聞き出せるといったことが保証されているものではありません。
企業による不動産売却の動きがその企業の経営不安の噂に繋がってしまう、個人による不動産の売却がその個人の恥部をさらすことになる等というケースも間々ありますので、本音の情報といったものが中々見出しにくいというわけです。
そういうわけですので、例えば不動産の仲介に当たっては、物件そのものに関する情報が正しいか、あるいは取引の当事者や情報仲介者の情報が正しいか、といったことを見分けることが非常に重要になるわけです。
また不動産ブローカーなどという呼び方がありますが、不動産の商売は面白いものでコネや特殊なルートの存在等の結果、仲介者も取引当事者も初取引(いちげん)という中で交渉や駆け引きが進んでいくという事案も珍しいことではありません。
ですから、情報の真偽の見分けはますます重要になるわけです。
その結果不動産に携わった人間が疑い深い習性を持ってしまうということも、少なくありません。
で、私もご多分に漏れず、疑い深いです。
では、私が不動産の情報を扱う時に代表的な注目する点を書いてみます。
・ 最初の話しが出来すぎていないか。ありえないほどおいしい話であるか。
あるいは、不安な部分にあまり言及せず、いい点ばかり強調していないか。
・ 当事者や関係者が「私は利益はいりません、社会のためにやっているのです」などというような綺麗ごとを強調していないか。
また、その割にはお金のことばかりこだわっていないか。
・ 話が途中でコロコロ変わっていかないか
・ 話が変わった時に素直にごめんなさいをするのではなく、ナンダカンダとぼけたり、以前からこの話だった等とごまかしたり開き直ったりしないか。
・ いつまでに結論を出さないとこのおいしい話を他にとられてしまう、または期限は
いつまででそれ以降は在庫がありませんなどと急かさないか
(なお余談ですが、稀に事前にお金を積まないと話が他に行ってしまうなどという煽りがありますが、このような煽りが出た場合は一旦取引から手を引くことをお勧めします)。
・ 偉い人や権威のある人専門家などのおすみつきを強調していないか。
・ 世間常識や一般常識を強調し、案件の独自性をぼかしていないか。
・ 物件に関する致命的な注意点や懸念点、不明点などに対して、よく考えると1%でも危険であるにも関わらず、絶対大丈夫、99%大丈夫、等の一見安心できそうな高い数字や抽象的な表現を出して、太鼓判を押してこないか
・ 不動産取引における定石となる一般的な手順を合理的な理由なしに、情緒的な理由により飛ばしていないか
ざっとこんな感じです
(この他物件そのものに関する物理的な落とし穴(これが実は一番多いのですが)に
対する調査不足もありますが、このケースは所有者などの当事者も(不動産の素人であることが多いですので)気が付いていない、あるいは善意で意識していないことも多く、むしろこちら側の単純な物件に関する調査不足といったケースも多いので、今回の
注目点からは外します)。
以上の注目点に何か違和感が生じた場合には、私の経験によればこのあと何かお化けや
落とし穴が出てくることが大半でした。
つまり以上挙げた注目点は、不動産取引の当事者や関係者による意図しないカタチでの
「情報開示」とも言えるのです。
で、実はこの注目点は不動産に限らず諸々の詐欺的な話や落とし穴のある取引には
付き物であることが、特に商売をやられている方はお判りになるかもしれません。
ですが面白いもので時々別の商売をやられている方が何らかの行きがかり上不動産
の取引の現場に入ってこられることがあるのですが、上に書いたような注目点に気が付
いているはずなのに大金に目が眩んでしばしば危ない話に乗ってしまうといったこと
を目にします。
金額が大きい、個人や会社の経済的存続がかかっている、などといった特殊な状況に置かれると、やはり人間の心のセンサーは鈍ってしまうようです。
因みにこのような時のセンサーは
・ 偉い人、権威(その人が本当の専門家でなくても)によるお墨付き、後ろ盾
・ 世間では常識である(実は非常に高額な価値が付く不動産には非常識で都市伝説的な事実も多いのですが、一般の人にはピンとこないことも多いみたいです)
・ 期限がある、在庫が無くなってしまう、という煽り
・ 手順が違う(この点は不動産を扱っている人間しかわかりませんので当たり前かもしれませんが、大きな金額や社会的経済的生命がかかった時は調べるべきでしょう)
以上のあたりでうまい話に引っかかってしまい、その結果他の注目点に点滅する懸念材料には楽観的になり、無視するか聞こえないあるいは気づかないふりをしてしまい、ついには大けがを負ってしまうといった感じです。
要は欲が勝ってしまい、それを背景として成約出来ない恐怖に引きずられてしまうのです。
では、これを回避するにはどうすれはいいでしょうか。
答えは簡単です。
お金、世間体といったものへの執着を捨てるのです。
そしてもう一つ、もし自分の読みが間違っていてその物件が動きかつ自分がその取引に入れずに手数料獲得の機会を逃してしまったら、その時は致し方ないと腹を括るのです。
そしてこの話からは撤退するか、つかず離れずの状態で無理をせずに様子見をするのです。
もしかしたら、あるいはその「時」が来たら、その物件は本当に動くかもしれませんので。
では、このような心持ちになるにはどうすれば良いでしょうか。
大金がチラついていてしかも一見おいしいもっともらしい話だったとしたら、こういう仙人のような態度を取ることは至難の業になるかもしれません。
そんな時こそ私は土地親和論をお勧めします。
地と人は本来一体であり、不動産は決してお金を生み出すだけの道具ではないのだ(もちろん時としてお金を生み出し関わった人を守り豊かにしてくれますが)ということを心に刻み込んだうえで、もう一度対象となる不動産をしげしげと眺めれば、間違いなくそれまでとは違う風景が心に映り、以後は冷静な目で不動産やそれに関わる人々のさまを眺めることが出来る筈です。
また自然と不動産を尊重する気持ちも出てきますので、以後取引の進め方に関しても別の視界が開けてこようかと思います。
同時に心が静寂になることにより、不思議とストレスを感じない良い気分になるという、うれしい副産物を感じられることも時にあるかもしれません。
今後土地なり不動産なり何か関わりを持ち、それに関して何かの決断をしたり他の人と色々な交渉ややり取りをしなければならなくなったときは、是非このことを思い出してください。
ところで、直近の社会的に重大な出来事で、私の不動産取引に関する注目点というセンサーが思わぬ反応をしてしまいました。
それは、コロナに関してです。
続く