土地親和論 ‐ 天の異変は目覚まし時計?
先日「天の異変は地上の異変?」というブログを書きましたが、今回は天の異変を別の視点で見てみたいと思います。
ここ東京では、このところ寒いです。
ついこの間まで真夏のような30度越えの日が続いていたのが噓のようです。
特に吹く風は、秋を通り越していきなり冬になったような感じです。
今年は気候が何かおかしい。
また、大きな地震も頻発しています。
阿蘇も噴火しました。
巷では富士山も噴火するのではないかと、まことしやかに噂されてさえいます。
総選挙の真っ最中にも関わらず選挙気分は高まらず、むしろ何か別の理由で落ち着かなく騒然とした気分に覆われている人も散見されます。
そうです、自然が荒れているのです。
先日のブログで、このように天下が荒れている時は地も荒れる云々と書きました。
しかし、天が荒れるということはもう一つの大切なコトを人々にもたらします。
それは、理由はどうあれ人々が自然そのものに目が向き関心を持つ、ということです。
普段仕事や家事や勉強などで忙しく自然などに気を向ける時間もなく気力も沸かない、といったような人でも、このように自然が荒れると自ずと自然に目が向くものです。
そして、その中の幾ばくかの人たちは、自分が自然に囲まれて存在していることに改めて気付くことになるのです。
自然はこのように色々なチャンネルを通じて私達人間に常にシグナルを送っているということかもしれません。
あなたたちとわたくしたちは共に存在しているということを。
自然は人間に対して時にやさしく時に過酷な姿を見せます。
そしてそのどちらの時も、自然と人は共に存在しているということ、運命共同体であるということを、人に伝えているということなのです。
そして今は自然が厳しい姿で人に呼び掛けているということを、幾ばくかの感性のある人々が受け止めたとしても何らおかしいことではないのです。
それにしてもこの秋は変です!
(備考)
土地親和論
「土地親和論」を以下のように提示します。
「地と人は繋がっており一体です」
したがって、
「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」