土地親和論 ‐ 秋の気配が高まる中、六本木の公園で自然を感じました
此のところ日差しは強くても風が冷たく感じられ、個人的には秋の気配が色濃く感じられるようになってきました。
しかも風の冷たさからいって、晩秋の気配というところでしょうか。
ところで、晩秋と言えば紅葉です。
私は仕事の関係で良く六本木に行くのですが、私の知る限り六本木にはヒルズとミッドタウンという紅葉の美しいスポットがあります。
私は特にミッドタウンの公園の紅葉が気に入っています。
昨日もミッドタウンに行く機会があったのですが、まだ紅葉には早いようです。
しかし、あたりの空気感は私に「秋は深まっていますよ、紅葉も近いですよ」と囁きかけてきてくれているような感じが致しました(これ、無理やり格好つけて詩的に造った表現ではなく、本当にそう感じましたので、悪しからず)。
今年は、コロナやワクチンの話題に気をとられ、外ではマスクも外せず、例年に比べて自然を体感する機会がグッと減った人も多いかと思います。
私もそうでした。
しかし、そんな中でも自然はしっかりと力強く息づいているのですよね。
昨日は確かにそのことを秋の気配から伝えられ、自然に圧倒された気分になりました。
そして、そんな力強い自然と私達は共に存在し共に通じているということも。
私達が自然に「心」を向けると、自然は微笑みながら返答をしてくれる、ということかもしれません。
もちろん、その逆もあるでしょうが。
古来より「神」様に優しい顔と恐ろしい顔という二面があるように。
私たちは、コロナやコロナワクチンの副作用に、そんなに簡単には負けないチカラを内在しているのではないでしょうか。
何故なら、私達の身体に中にも「自然」の免疫というものがあるからです。
私達は、私達の「外」でも「中」でも、自然という大きなチカラを持っていることは間違いありません。
ただ、その自然のチカラが力強い味方になってくれるか、恐ろしい顔の祟り神になってしまうかは、それぞれの心の向け方によって違ってくるということです。
つまり、自らが自らの本当の「心」に繋がることが必要になるということでしょう。
コロナの出現をきっかけとして、周りの人や世間の様子をキョロキョロと伺いながら付和雷同で多数派に従う、などというこれまでの意識の延長線上で行動する人たちは「祟りにあってしまう」という恐ろしい時代になってしまったかもしれません。
今は「ココロ」の時代になったと一部で言われていますが、確かにそうかもしれません。
今からでも遅くはありません、私自身の「心」の点検をしましょう。
かく言う私もこんなブログを書いておきながら、内心は決して褒められた「心」を持っているわけではないことは自覚していますので、「心」の点検を行うことを心掛けるようにと思っている今日この頃です。
(備考)
「土地親和論」を以下のように提示します。
「地と人は繋がっており一体です」
したがって、
「これからは、人はそれを自覚し、地に足を付け、地に感謝し、地を清め浄化し、また地から必要なものを豊かに恵んでもらい、地やその元である地球のありとあらゆる生命やモノ・コトと助け合いながら、また人々も助け合いながら生きていくという哲学を基盤として、新しい社会やコミュニティを皆で知恵や工夫や情報を出し合い創っていきましょう」